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伊藤恵さんのピアノ・リサイタル 2010.4.29(木)紀尾井ホール [コンサートやライヴで感じたこと]

弁慶橋20100429.jpg

「シューマン生誕200年への素敵なプレゼント」

この日(「昭和の日」というのですね)の天気はとても気持ち良かった。
弁慶橋を渡ってホテルニューオータニ前、紀尾井ホールまでの道のり…。
強すぎず弱すぎない風が顔に身体に当たってきて心地良い。春薫る風。

舞い落ちた花びらが歩道の所々に埋め尽くされていて
その上を踏んでみる。
ふかふかの絨毯のような優しい感触が、靴底を通して伝わる。
歩くのも楽しくなる。

伊藤恵さん20100429.jpg



シューマン「クライスレリアーナ」6曲目(Sehr langsam B-dur とても時間をかけて)が、
とても印象に残った。

それは、深い黒色の世界。

ただ「黒い」のではなく、いうなれば、日本の伝統色の「蝋色」(ろいろ)。
黒漆の独特の光沢が鏡のような役目を果たし、黒色に映り込む世界が二重三重にもなる深さ。

ところが、黒の深い世界が、消炭色(けしずみいろ)のような灰の混じった色になった途端、
藍海松茶(あいみるちゃ)が持つ、やや黒みがかった青緑色に変化する…のを感じたら…、
今度は、松葉色(まつばいろ)の、松の葉のような深い緑色の世界が束になって出現する!
…とじっと目を凝らしていると赤色! 深紅(こきくれない)という濃く深い憧れの赤色を
感じさせる世界。しかも音を使って。音楽を用いて。ピアノを鳴らし…ね。

ともかくこのように響いたシューマンを、僕は初めて耳にした。
同時になぜこのような印象を与えるのか「理解」を試みようとした瞬間、色がす~っと抜け、
白く輝く山の頂きが心の眼前に。

ああ、白も色だったのだ…ことを知る…。
実に「異質」な世界に引き込まれた。

シューマンの「憧れ」に、クライスラーの「霊感」が感応したのが「クライスレリアーナ」。
それは、ファンタジー集だろうし、あからさまにしていないが、一種の霊感集ともいえる。
そして、同じく生誕200年のショパンに捧げられた作品だけれど…
パステル風の色彩がない。
色の原色のままをチューブから出して世界を描くという濃さ。ものすごく濃い。「濃い」。
一種の恋焦がれの濃さ。

もう一度書くけれど、「クライスレリアーナ」をこのようにきき、感じ取ったのは初めて。
伊藤恵さんのピアノから初めてきいた「クライスレリアーナ」の…恐らく本質の…世界。

順序が逆になるけれど、最初にきいた「こどもの情景」は、全てのものごとが、ピタリと
と決まってゆく。
「決まってゆく」とは書いても…、
「ON」と「OFF」。「0」と「1」。「○」「×」。「合う」か「合わない」…とか、何か、
デジタル風の「指標」と照らし合わせて「決まった」と感じるものではないのです。

「シューマン・リズム」。

伊藤恵さんのシューマンをきいていると、ときどきそう表現したくなるようなリズムだし、
テンポなのです。特に「こどもの情景」は、シューマンと妖精との協働作業で仕上がった
趣きのある作品。日常のくつろいだ生活の中にある規律正しいリズムや生活のテンポ。
自然の摂理に適った生活や人生を送る人が紡いだシューマンの「こどもの情景」なのです。
いとおしい風景がいっぱいに広がった。

伊藤恵さんは、これからどのように年を重ねてゆくのだろうか?

伊藤さんにもわからないかもしれないけれど、年を重ねてゆくことは幸せなことだな…と、
そう感じさせる音楽家がきかせてくれた「こどもの情景」。

シューベルトの「3つのピアノ曲D949」と「楽興の時D780 op.94」が、後半に並ぶ。

僕は、シューベルトは好きだけれど良くわからない。

ただ、どんな作品をきいてもいつも感じるのは、「カフェーでの喧騒」と「死に神」。

カフェーは喧騒というより、仲間同士のワイワイガヤガヤ楽しい時間と空間の「それ」。
「それ」と「死に神」は、作曲家の若い頃でも最晩年でも、割合が少し異なるだけで、
既に作品に同居しているのです。

だから、シンプルなメロディーや独特のハーモニーの中に恐怖を感じるときがある。

伊藤恵さんの演奏は「シューマンから見たシューベルト」という具合…と感じた。
これはこれで、別の魅力があると思います。

それにしても、伊藤恵さんは、何と素晴らしい心を持った音楽家だろう!

ききてとして、シューマン生誕200年を共に祝うことができて、感謝です。


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コンサートホールに住まう「神様」 [コンサートやライヴで感じたこと]

先日、ご縁あって、都内某所にオペラを観に行きました。

何と言うか…演奏そのものについては、僕は何も感想を書かないでおきます。

ただ、そのオペラを観たホールで気づいたこと。

一流の…または、
一流を目指して身を捧げている人たちも含めて良いです。勿論、

目指したからといって「なれる」ものではなくて、世の中がそう「認める」ことが、

身を捧げるのと同じくらい大切なのですが…アーティストたちが、

全身全霊をかけた音楽や芝居が、いつも上演されているホール(空間)と、

そうでないホールには、ああ、明らかに空間としての「場」が違う・・・ということ。

「感動」が
座席や壁。天井や床、はたまた扉などの「空間」に刻まれるのか…

そういえば、オペラ座には怪人がお住まいだったですね。

原題は Fantôme de l'Opéra ですから、

「怪人」というよりは、幻、幻影、幽霊、とすべき「存在」。もしかすると…、

アーティストの「魂」や「理想」が集合して「何か」になったのかもしれません。


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2010.2.26 尺八+琵琶+ピアノ=「絶対未聴領域」 [コンサートやライヴで感じたこと]

20100226@日比谷御客様.jpg

ほぼ満員の御客様。
今回のステージは完了。

「きき」にお集りくださった御客様、有難うございました。
そして、お手伝いくださった方々、有難うございました(写真は後輩の君が撮影)。

僕が感じたことを一言だけ書けば、「課題」は「伸び代」ということです。

塩高和之さんのブログ
仲村映美さんのブログ
川島さんのブログ


弾き手、つなぎ手、きき手…のお立場から
有り難いお言葉に感謝を申し上げます。


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「音楽は、自由な野の鳥」中村天平 2010年初コンサート(中編) [コンサートやライヴで感じたこと]

…「(続く)」と書いてから、何となく書き続ける気がせずに、もう5日も経ってしまった。
これから続きを書いてみようと思います。

その前に、コンサートやライヴで感じたことを書いているのだから、どんな様子だったのかを、
まとめておきたいです。

まず、中村天平さんご自身のブログから。どんな意図があったのかを知ることができます。
それから、聴き手の反応。それは「湧玉」さんから窺い知ることができます。mixiにも感想が
あり、弾き手と聴き手双方の感じたことのほとんどが、もう書かれており、僕が、新たに付け
加える必要もないか…と思います。

ですから僕は、ちょっと違うことを書きましょう。

先日、天平さんとお昼一緒に食べていたとき、ピアノ協奏曲が話題に出てきたのです。

…と続きを書き始めて、何と1か月以上経過してしまった。

その間、天平さんは、

NHK『みんな、二十歳(ハタチ)だった』に出演した。
フジテレビ『僕らの音楽』に出演して、倖田來未さんと共演をした。

この辺りは、ご本人のブログを見ていれば、細かに書かれているので、今さら何も書くことも
ないように思う。

それよりも、この間起きたこと。それは、やはり、思い出すのは、阪神淡路大震災…だ。
もう15年前になるのだな…。

僕は、大阪出身。あのときは、地面がうねるような、今まで体験したこともない地震だった。
だが、実家の屋根瓦が、数枚ずれただけで被災は何も受けていない。本当に有り難いことだ。

その後、余りの惨状に…今この文章を書いていても涙が出る…本当に僅かなことしかできぬが、
ボランティアとしてお手伝いに行かせて頂いた。

最初に行かせて頂いたのは西宮北口。井上さんというおじいさんとおばあさんのお宅だった。
水が出ないからと、片道30分くらい歩いて給水車のいる小学校まで汲みに行った。キャリー
カートに
ポリタンク2つをくくりつけて帰ってきた。

歩く間…

45度に傾いてしまって、たった一本の柱で、崩壊を防いでいる家。
火災後の一面の黒いすす。

西宮北口は、それでも比較的、被災が少なかった地域だった。

井上さんは「指揮者の朝比奈隆さんとは仲が良かった。隣組だった」というお話をされた。
水の出ない仮住まいには、
ヴァイオリンがおいてあった。

井上さんは、お元気にされてらっしゃるでしょうか?

数日後、被災のひどい地域にも、電車が動くようになってから、お手伝いに行かせて頂いた。

崩れそうなお宅の2階部分にもぐりこみ、僅かばかりの家財道具を、何とか取り出して…。
あのときのおばあさんの顔を、今でも覚えている。僕たちの行為に「有難う」と言ってくれた
気がする。しかし、とても悲しみに満ちた目と顔だった。

そう、何もかも奪い去ったのだ。あの地震は。

天平さんが出演したNHKの番組を見ていて、あの時のことを思い出した。

屋根が落ち、柱の折れ曲がった、崩れた家。天平さんの実家の写真がテレビ画面にあった。
瓦礫の中にピアノが何とか立ちはだかっている。幸いご家族は、皆さんご無事で有り難いこと
であるが、あのおばあさんの深い悲しみに満ちた目と顔。逝った者と同じく、残された者にも、
大きな試練を残した。そう、この男(天平さん)は、あのときを経験しているのだ。





あの演奏が良い。
この演奏の方が良い。うまい…いや、下手だ…。…とか。

どうも、こういう軸で音楽が、急にきけなくなってしまった。

何というか…あの店はうまい。この店はまずい。といっているのと、変わらない気がする。
たった一杯の温かい飲み物がどれほど貴重か。たった一つの音がどれほど貴重か。

天平さんの音楽は、生命の飛翔を感じる。
ラフマニノフやショパンやベートーヴェンは、「生命の飛翔」そのものではないか?

今の演奏家に、「生命の飛翔」がないとはいわない。
だが、圧倒的に不足していることがあるように僕は感じる。それは演奏できることへの感謝。
そして、きいてくれることへの感謝。

いや…それは、僕も含めて、音楽をきく側も同じではないか? と、感じる。




「音楽は、自由な野の鳥」結び編は、また、気の向いたときに書かさせて頂きます。

【御礼とお詫び】

nice!やコメントを寄せてくださった皆さま、そして、ご訪問くださった皆さま、御礼を
申し上げます。有難うございます。そして、返信やご訪問がままならず、ごめんなさい。


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「音楽は、自由な野の鳥」中村天平 2010年初コンサート(前編) [コンサートやライヴで感じたこと]

20100107天平①.jpg



「音楽は、自由な野の鳥」と、表現したのは評論家の吉田秀和さんだった。のっけから引用して
恐縮だけれど…、

カルメンじゃないけれど、音楽は、恋と同じ、自由な野の鳥であって、楽譜がなければ成り立た
ないが、その籠に無理に閉じ込めると死んでしまうのだ。「だからこそ、すべての原譜になる正
確な楽譜が絶対に必要なのだ」という議論はもちろん正しい。でも…(略)(引用ここまで)

『之を楽しむ者に如かず』(新潮社)より

この日(2010年1月8日、表参道カワイ「パウゼ」)の中村天平さんの音楽をきいて、吉田さんの
「音楽は、自由な野の鳥」という言葉が、心に浮かんできました。

約2時間繰り広げられた中村天平さんの世界。その中に「
Like a Bird」という名の音楽があった。

♪♪♪

鳥の様に自由に、それが僕の生きる源。
しかし成功への道を歩み始めようとした時にそれと供に失う物が多くあります。…(略)…
作曲に集中する為にカーテンを閉め切り、今が朝か夜かもわからず一日中部屋に引きこもり、
誰も訪れる事のない牢獄の中でアルバムの曲達を作曲していました。…(略)…
泥沼の中から翼をバタつかせて抜け出そうともがく様、その泥沼から抜け出した先には応援者、
協力者、ファンが待っていてくれた事に改めて気付いた感動を表現しました。
ありがとう(引用ここまで)。

これは、セカンドアルバム『翼(TSUBASA)』(TOCP-70809)に収録されている中村天平
さんご自身が
書かれた「Like a Bird」の作曲時の心象風景です。

そして、もうひとつ。また吉田さんから引用してみましょう。

私が、特に言いたいのは…音楽を楽譜に定着させるということが、いかに難しいことかである。
音楽を作る現場(筆者注:音楽を演奏する現場ではない)を少しでも見聞したことのあるものは、
極端な言い方をすれば、楽譜はあくまでもそれに忠実であらねばならぬ原典であって、しかも、
その場の状況によっては、楽譜そのものを変えてしまう必要に迫られる状態に陥ることがあると
いうことである(同じく『之を楽しむ者に如かず』から引用)。

「僕の曲には楽譜がないんですよ」

とは、大いに盛り上がった後半、質問コーナーで、聴き手が質問した「楽譜を出版してください。
天平さんの『フレイム』を弾きたいんです」に対する天平さんの答えです。


♪♪♪

僕の曲には楽譜がない。
だからといって、即興で弾いているわけじゃない。部分的にちょっと変えて弾く場合もあるには
あるが、それはほんの一部。ほとんどの曲は、作曲したときに作った通りに弾いている。
「いったいどうやって覚えているんですか?」と疑問に思う人もいるだろう。
これが、不思議と覚えようとしなくても覚えられる。鍵盤に触れる指の感覚、視覚、聴覚などを
総合して覚えている。複雑で忘れそうな曲は録音しておく。聴けばすぐに思い出す。…(略)…
そんな感じで、今の段階では楽譜がなくても不自由していない。でも、四十代半ばくらいなった
ら、すべての曲の楽譜を書くかもしれない(引用ここまで)。

昨年11月に出版された天平さんのエッセー『ピアニストになるとは思わなかった。』(ポプラ社)
からです。ピアニスト・作曲家を名乗る人から見ても、この発言は、ちょっと驚異的なことでは
ないかと僕は思いますよ。当たり前だけれど、自分自身も「再現」できぬ「チャラ弾き」などで
はありません。自分の「意」を音楽に託して、極め切った即興を、身体に定着させている感覚。

「再現性」があるところに、ジャズの「アドリヴ」とは少し違うことがわかりますね。僕がこの
話を聞いてイメージするのは、ピアノ協奏曲4番初演のときのベートーヴェンのエピソードです。

即興の名手だったベートーヴェンは、自分にしかわからない文字や記号だけを記したソロ楽譜で、
この作品を初演したらしい。もちろん、オケなど共演者のパートは、楽譜がないと演奏できない
ですから、きっちり書いていたはず。つまり、ベートーヴェンは、「頭の中に入っている」即興
を、僅かな記号を頼りに「再現して」弾いた、という具合でしょうか?

ベートーヴェンは、モーツァルトの協奏曲20番に、優れたカデンツァを残していますね。カデン
ツァ(≒即興的演奏)というよりも、あれは立派なひとつの作品です。つまり、当時の聴き手が
「テーマ」を出して即興演奏で応えるという…ベートーヴェンの「即興演奏家」としての素地が
発露した音楽なんです。何度も何度も即興をしたと思う。人とも競ったと思う…そんな活動…。

ここで、みたび、吉田さんに登場して頂きます。

楽譜通りにやることを目指して一生を捧げているかのような人のことをとやかくいう気は全くな
いのだが、そういう人たちと自分の創意を音楽に託したいと考えてモーツァルトをひいている人
たちとの間には大きな距りがある。…(略)…
モーツァルト自身も、前にもいったが、同じ曲をいつも同じにやったとは限らない。今という時
代は、音楽にもつ可能性の大きさ、そして再びそれを見出した時代でもあるのだ。
ああ、音楽!(引用ここまで)。

『之を楽しむ者に如かず』から

ベートーヴェンは、明らかに「自分の創意」を音楽に託したいと考えてモーツァルトを弾いた人。
では、天平さんは!

並べて書くことをお許し頂きたい…ですが、彼は「自分の創意」を音楽に託して、自らの音楽を
弾く人で、楽譜の定着の時機を、未来に予定している音楽家なのです。
ああ、音楽!

僕は、吉田さんの音楽をきく感覚…「自由な野の鳥」とされた…その感覚が、天平さんが用いた
「鳥の様に自由に…」に似ていることに驚くと同時に、吉田さんのちっとも「古びない感性」に、
そして、天平さんの音楽に対する純粋性に、底流を流れる本質の一致を感じるのです。

昨日と今日と、誰と誰との演奏を比較して、

スラーがこのようにかかった、

「ハ」を「嬰ハ」に弾いた、
シンバルがあった・なかった、

これらは、音楽の「部分」ではないか? と僕は感じるのです。

もちろん、それらの全てがどうでも良いことではありませんよ。ただ、音楽の「生命なる部分」
について、もっと大事なことを、僕に教えてくれた音楽家の一人が、中村天平さんなのです。

(続く)


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52階で聴いたグリーグ [コンサートやライヴで感じたこと]

52階のグリーグ①.jpg

「上手」「キレイ」という事柄以外に、僕にとって何か「学び」があったコンサートについては、
ちょっとくらい前のことでも、できるだけ書き留めてゆきたいと思います。

この日は、六本木ヒルズの森タワー52F展望台内で開かれた「スカイイルミネーション2009」の
「MADO LOUNGE SPICE CLASSIC LIVE」へ。

千葉 清加さん(第1ヴァイオリン)
重岡 菜穂子さん(第2ヴァイオリン)
三島沙帆さん(ヴィオラ)
中 実穂さん(チェロ)

といった人たちが、グリーグのカルテット(弦楽四重奏曲)やクリスマス・メドレーなどを披露。
手抜きの一切ない、骨格と技術のしっかりした、それでいて情熱の溢れる演奏でした。

ただ、僕が感じたことがもうひとつありました。それを書きましょう。

♪♪♪

Classical Music Cafeへようこそ。

音楽史をひも解くと、音楽は、食事やおしゃべりとともに供される芸術であることが、ひとつの
目的になり得た時代が一時期ありましたね。

それは、傑作絵画を背にして、美味を食する晩餐と似たような「扱われ方」ともいえましょう。

モーツァルト、ハイドン…他にもいますが…は、仕える、つまり給与を払ってくれる殿様の為に、
いや注文に応じて、そういった「趣き」の音楽を作ることもありました。

この日、ラウンジで行われたコンサートは、そのモーツァルトらが生存していた当時の人々が、

「ああ、こんな環境で、こんな風に、音楽を「わかちあって」いたのだろうか」…という感覚に
陥る、あるいは、ちょっと想像できそうな、そんな経験でした。


スプーンやフォークがお皿にあたる小さな金属音…

給仕人の足音…

お隣の人との気のおけない、しかも絶え間なく続くおしゃべり…

おしゃべりの中身といっても…

注文する男の威勢の良い声や、会社での出来事や趣味のこと…

女の甲高い笑い声…

200年前とちっとも変らないと思った。もっとも、携帯の着信音が鳴るのは現代ならではだけど。

今の「絶対的静寂」が前提の「コンサート」の環境とは大違いだ…とも感じました。

どちらが観賞のあり方として本物か正しいか?

という議論は今回せずとも、ラウンジでくつろぐお客は、アルコールを体に注いでおしゃべりし、
笑う…のは「正しい」と思います。そのためにお金を払っているのですからね。

それからもうひとつ感じたこと。これは「絶対的静寂」の環境では気づかなかっことですが…、


音楽のダイナミクス(強弱幅)に応じて…比例して…おしゃべりの音量も変わったという点です。

音楽が、ffフォルテッシモ(とても強く)弾かれたときは、結構おしゃべりが盛り上げる。一方、
静かな抒情的メロディー部分ではひそひそ話。グリーグのカルテットはその典型的例でした。

なるほど!

だから、モーツァルトやハイドンの…全てではないけれど…音楽には、劇的なフォルテッシモや
ppピアニッシモ(とても弱く)を対比した作品が…特に室内楽では…そんなに多くはないな…と
も感じたのです。

楽器の制約、様々な観点が絡み合うのは承知の上。また、その限りではない作品もありますよ。

でもね、
強弱が平板な音楽の方が、会話の邪魔にならないことを、当時の音楽制作請負人たちは、
ちゃんと心得て、音楽を「調達」して「納品」していたのかもしれませんよ。

フランス革命以降、ベートーヴェンの音楽は、端折って書けば、自分のための表現として音楽を
用いました。トロンボーンによる謳歌したフォルテの響きや、自分の内省をぶつぶつ語る弱音。
小骨が喉に刺さりそうなくらい繰り返される執拗なアクセント…。しゃべる隙を与えないですね。

当夜の演奏から、「クラシック音楽」の受容の仕方、あるいは「扱われ方」の「歴史」が透けて
見えてくる気が、
「ほんの少し」だけしました。

凡庸な演奏なら、「凡庸」なことに耳がいってしまって、今回のようなことは、気づかなかった
と思います。それだけ、彼女らが、真面目に的確に演奏していた…ということでもあるのです。

52階のグリーグ②.jpg

地上に降り立ってみると、ホワイトのキレイなイルミネーション。

もうすぐ、クリスマスですね。

2009年12月4日(金)森タワー52F 展望台内 MADO LOUNGE SPICEにて


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小林 愛実 Debut! プレミア・コンサート 2009.12.14 後編 [コンサートやライヴで感じたこと]

小林愛実さん1214②.jpg


それにしても…人を評価するのは難しい…ことでもあります。

僕は「天才」について表面的な印象論を書いてみました。きっと「素材」「環境」「教育」
に、「才能」と「運」の5要素が、最低限備わっていることが、初歩の条件と思います。

それと、尊敬する人から、かつて、目の前でこんなことを教えてもらったことがあります。

「超一流とは、砂山からたった一粒の砂を拾ってもらうようなもの」

きっと「天才」とは、その拾われた粒の中から選ばれた粒なのでしょうか?

ハンカチを手に持ってステージに登場し、ピアノに「ポン」と置いてから鍵盤に触れるまで
に集中する仕草が、どことなく「巨匠」の風格
を僕には感じさせます。それと「精密機械」
のような演奏では、決してなかったことにも興味を覚えます。小林 愛実さんの演奏から。

音楽でいかに表現するかに全てを捧ぐ、その姿勢があった…ようにも感じました。身体が音
楽にノッテイルように見えるけれど、確かにそれは表情豊かに映るけれど、実のところは、
音楽が上滑りしないように、つま先から頭のてっぺんまで使って「制御」しているようにも
小林さんの演奏姿から感じました。


最後に忘れてならないのは、先生と生徒。それから親と子。それらの関係のあり方です。

「子供をこのように育ててみたい、接したい、教えたい」

…と願う親御さんや先生の良きお手本のひとつとしても、脚光を浴びるかもしれませんね。

というのも、親子や師弟といったことに限らず、人間関係がぎくしゃくしがちなこの時代に
あって、一筋の光明のような存在感が出てくる可能性をも感じたからです。
 

特に、二宮 裕子先生と並んでのトークを見て聞いた人の中には、ひとつの「幸せ像」的な
構図を感じた人がおられたようにも…そんな印象を僕は持ちました。

キーシンやアルゲリッチといった芸術家たちからの評価も高いと聞きました。この天才たち
とも、同じような関係性が構築されるかもしれませんね。

小林 愛実さんというピアニストが、これからどのような歴史的役割を担うのか
、僕は見届
けてゆきたいと思います。

それが、聴き手としての役目だとも…僕は感じるのです。


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小林 愛実 Debut! プレミア・コンサート 2009.12.14 前編 [コンサートやライヴで感じたこと]

小林愛実さん。

ピアニスト、ピアノ教師、愛好家の間で大変話題になっている現在14歳のピアニストです。
5歳で最年少記録樹立、8歳で1位。9歳で国際デビューと…立派な経歴の持ち主なのです。
カーネギーホールでも演奏をしている小林 愛実さんの詳しいプロフィールは、こちらへ。

この日は「アルバム発売デビュー」(2010.2.10リリース)を記念してのコンサートでした。
サントリーホールのブルーローズは超満員。集まった人たちから、大きな期待と興味を持た
れていることが、本当に良く伝わる熱気と、眼差しに
包まれていました。

演奏と人柄に触れて僕は、3つのことを感じ取りました。

まず、演奏された作品で最も感銘を受けたのは、ショパンのマズルカ作品63の3。

このピアニストは、
大人のしかも、男性の「翳り」「哀愁」という個人的に直接訴える感覚
から、「
懐かしい土地のにおい」といった普遍的な記憶…ショパンが「マズルカ」という様
式、いや「世界」に詰め込んだそのひとつひとつを、ふんだんに聴かせてくれる。

これは…ね、僕は、とても気に入りました。

僕は「ある種」のショパン好きですが、気に入るマズルカ演奏に中々当たらないのです。
小林さんのマズルカは…「ああ、また聴いてみたい」と感じさせました。

それから、スケルツォ第1番ロ短調作品20とエチュード作品10の4も大変良かった。

アンコールで聴かせてくれた
ノクターン第20番嬰ハ短調遺作などは、きりりと辛口の演奏。
菓子が好きな(…と少し話していました。トークもまた茶目っ気たっぷり)、まさに14歳
の少女らしい愛実さんだけれど、甘味
に媚びた香りがしない極めて
真っ当なノクターン。
これは一体どういうことなのだろう?あるいは、天才とは何なのだろう? と
僕は改めて考え
ずにはいられませんでした。

「精神的に多くの経験や体験を、なぜか『既に』積んでいて、なにがしかの方法で、経験や
感情を表現して感動的に相手に伝える」それが、芸術上の天才でしょうか?

ベートーヴェンの「ワルトシュタイン」は、プログラム1曲目にこの「大作」を置くという
「大胆
不敵さ」に、僕は、驚かずにはいられません。まず、やれないです。もしかすると、
やらせないかもしれませんね。普通の人の感覚ならば…です。

それにしても…

(続く)


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アルティ弦楽四重奏団 2009.12.6 [コンサートやライヴで感じたこと]

アルティ弦楽四重奏団2009.12.6.jpg

僕が10代半ばの頃、大変お世話になっていました上村 昇先生のコンサートへ。

豊嶋 泰嗣さん(新日本フィルコンサートマスター、九州交響楽団桂冠コンサートマスター)と
矢部 達哉さん(東京都交響楽団ソロコンサートマスター)のヴァオリン。
川本 嘉子さん(92年ジュネーヴ国際コンクール・ヴィオラ部門で最高位(1位なしの2位))のヴィオラという方々と、
一緒に組んでいるアルティ弦楽四重奏団を聴きに…。

ともかく、この日聴いたベートーヴェンの「セリオーソ」は際立って美しかったのです。

♪♪♪

Classical Music Cafeへようこそ!

弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品95に、ベートーヴェン自身は、「厳粛(セリオーソ)」という名をつけたのだけれど、
この曲に接するとき、弾き手も聴き手も、どうも
肩に力を入れて深刻に弾き・聴く・・・そんな傾向にあると僕はいつも
感じておりますが、いかがでしょうか?

「セリオーソ」なんか知らない、という方のために、ちょっとこの音楽を聴いてみましょう(演奏団体は違います)。

この日聴いたアルティ弦楽四重奏団の「セリオーソ」は、出だしは「荒々しい全楽器のユニゾンで、第1主題がヘ短
調で始まる」(音楽之友社ポケットスコアの坂本良隆さんの解説から引用)のだけれども、変ト長調でチェロが弾く
主題の動機…6小節目の「ミ♭・レ♭・ミ♭・ファ」についてるディミヌエンドから途端に、僕の「セリオーソ」観とでも
いいましょうか・・・その世界が変わってしまったのです。

この音型は、「激怒をなだめるような静けさがもたらされる」(同じく坂本さんの解説から)のですが、
「再びヘ短調に
もどって、怒涛の開始動機が全楽器のユニゾンで奏され」(同)るのだから、「通常」チェロは、鋭角的(スタッカート
がついています)な音を保ちつつ、荒々しい緊張感を残しながら次の展開に繋げてゆく…「はず」です。

ところが、今日上村先生が弾かれた、これらの
たった4つの音には、より多面的で深い要素を感じさせるニュアンス
が存在しました。僕は、かなり驚いた。単なるディミヌエンドではなく…十分な緊張もあり…ひたすら美しい。

最も
ぴったりくる言葉は、最近の吉田 秀和さんが使う「メルトダウン」。何かが溶け出す。美しい「歌」の世界へ。

20小節目のff(フォルテッシモ)、non ligato(ノンレガート)は、第1ヴァイオリンの矢部達哉さんにしても、第2ヴァ
イオリンの豊嶋泰嗣さんにしても、あるいは雄弁なヴィオラの川本嘉子さんにしても、「全く楽譜の指示通り」に演奏
されているのだけれど、極めて「エレガントな」音楽になっていたのです。

「エレガント」…「セリオーソ」では無縁と思っていた言葉。

かつて、こんなに美しい「セリオーソ」があったのでしょうか?
かつて、こんなに流れる「セリオーソ」があったのでしょうか?
そして、何よりもこんなに歌に満ちた「セリオーソ」があったのでしょうか?

…少なくとも、僕の中に無かった「セリオーソ」経験。

もちろんそれでいて、脆弱とは無縁の骨太のベートーヴェン世界。
迂闊にも第2楽章で涙がこぼれる寸前でした。

それにしても、なぜベートーヴェンは「セリオーソ(厳粛)」と名付けたのでしょうか? と思いながら聴き進むと…、

…音楽というのは あなた 「厳粛」に創造して演奏すれば それは 極めて美しい歌なのですよ…と

この「美演」を通して、ベートーヴェンが僕に話しかけてくる気がした…のです。

休憩後、今年没後200年を迎えたハイドンの超大作「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」。

つい先頃、国立新美術館で「THE ハプスブルグ」展を鑑賞してきました。ルーカス・クラナッハ(父)が描いた「聖人
と寄進者のいるキリストの哀悼」…
まさにハイドンの「七つの言葉」の一場面です。多くの画家たちが、このテーマで
絵を残してきましたが、僕がクラナッハ(父)の絵から印象に残ったのは、山の稜線にうっすら輝く夜明け前の光りと、
深く青い空の見事なコントラスト。

「どんな(残忍で辛いこと)ことがあっても明日はやってくるのだし、太陽は昇ってくるのです」…と、今も昔も変わらぬ
カンバスに描かれた夜明け前の深く美しい青空を見て、僕はそう感じたのです。

そう、
この「うっすら輝く夜明け前の光りと、深く青い空」という「高貴」で「美しい」イメージを、この日の演奏は、想起
させてくれました。ときどき後光が輝くほど。音は魂に届き、そして、ホールの中に減衰しながら溶けゆく。

「七つの言葉」は…オラトリオなどで歌詞を知る人は尚更そうかもしれないですが…
先に言葉ありきの音楽」だと、
そういう「ジャンル」の音楽だと、僕は今まで捉えていました。

実は、朗読などと組み合わせて、今日の公演がされれば面白いかもしれないと、聴き手の一人として勝手な
思案
を僕はしていたのです。もっともそうなれば「芸術」の領域にある朗読者が必要となりますし、これはこれで「人」の
選択が非常に難しいのですが。

今日のカルテットのみによる純粋な音だけの演奏を聴いて…今年はカルテットによる「7つの言葉」は2度目です…
次のようなことを考えている自分に気づきました。

ハイドン自身は、この作品を「初めて音楽を聴く人にも深い感動を与えずにはおかない」と自負していたほどの傑作
と認識していました。一方、「聖金曜日の礼拝において、福音書のキリストの十字架上での七つの言葉をそれぞれ
読み、『
瞑想する』時間に演奏されるための音楽」でもあったらしいのです。

つまり…、

「瞑想する時間に演奏されるための音楽」が、作品本来の姿だったのならば、「瞑想」(≒眠り)に入った聴き手が多
かったのは、むしろ仕方のない…いや、もしかすると、これが「あるべき姿」かな? と僕は感じたのです。もし、言葉
を介在した上で聴けば、きっと瞑想の邪魔になる「人も」いたことでしょう。いや、瞑想は「祈り」かもしれませんがね。
そうなれば、音楽を聴く行為そのものから、離れてしまう可能性もあり得ますね。なぜなら、あまりも内容が「劇的」に
過ぎるからです。そして、何よりも、僕が、クラナッハの絵から伝わった感覚と「自由に重ね合わせる」という余裕すら
与えない・・・もう逃げ場のない大傑作ですから。

そういった意味では、静かに「瞑想」しつつ大作を鑑賞できたと感じます。

アンコールは、ハイドンの弦楽四重奏曲「セレナーデ」から第2楽章アンダンテ・カンタービレ。

ピツィカートひとつで既に「音楽」になっているカルテット…極めてエレガントな音楽の世界を僕は
感じました。

ありがとうございました。

2009年12月6日(日)フィリアホール


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村松 崇継 Piano Sings X'mas 東京公演 2009.12.9 結び編 [コンサートやライヴで感じたこと]

「大作曲家たちが傑作をたくさん書いてしまい…即興演奏の伝統は衰えていった」とありましたね。

なるほど、と僕は思います。そして、こうも考えます。

「大作曲家たちの傑作を演奏する専門の音楽家たちが次々と誕生し、数々の名演奏を残していった。それは、
様々な録音媒体に記録され、名演奏に必須の、ときには「ハプニング」も含むニュアンスまで、装置を通して、
何度も同じように完全に再現され、聴衆は繰り返し繰り返し、傑作の「名演奏」を楽しむ時代になりました」と。

「生身である」演奏の専門家は、常に「名演奏」と比較され続けている、という時代が「現代」でもありますね。
そのことに、いち早く気づいて、コンサートからドロップアウトして、レコードしか作らなくなったのが、グールド。
グレン・グールドといえば、伝え聞くところ「超デリケートでナイーヴ」でした。村松さんと少しかぶります。

さて「即興」。

この日も、お客さんが出した「テーマ」に応じて即興演奏をする、という場面がありました。
意を決して(…と思います) 「テーマ」を言ったのは20代女性の方。「奇跡の出会い」が与えられた「お題」


その後の成り行きが僕にはとても興味深く、ここに「即興演奏」の勘所があると感じました。

「奇跡の出会いですかぁ?…」「大きいテーマですね…」

とやり取りしながら、村松さんは集中をして、彼の中にある「霊感」を掴もうとする。霊感
? それは何か?
僕は、それは「人生の体験」と言い換えても良いと思います。

お題を与えられた村松さんが、自身の「奇跡の出会い」経験にリンクしている。「同時に」(ここが大事です)、
聴き手たちも、自身の人生に存在する『奇跡の出会い』体験」と、重ね合わせている「空気」を感じたのです。
創造して弾く人の経験と、聴く人の各々の経験が、音楽を通して「重ね合う」…そんな感覚です。

創造と演奏を同時に行う村松さんの「人生(=経験」)と聴き手のそれとが、音楽を通して重なり、交わり合い、
自分の心に入る…昔、武満 徹さんが仰ったように、
音楽は「空気の振動」ですから、ドビュッシーのいう「エク
トプラズ
ム」のように、自由に形を変えて、聴き手の「心」の中に留まるのです。

優れた即興とは、創造と演奏と聴き手が、「人生(=経験)」を重ね合わせることが「できる音楽」と、考えられ
ないでしょうか? そして、これこそ「再現芸術」にも必要な要素と僕は考えます。なぜなら「本物の」再生装置
「自体」には、「人生(=経験)」が存在しませんから。

話はそれて…、

辻井 伸行さんやフジコさんには、「クラシック」として異例なくらい、多くの聴き手が集まりますよね。集まった
人たちは、一体何を聴いているのか? 何を感じているのか? 何となく見当がつきそうですね。また、いつか、
書く機会があれば…と思います。それから河村 尚子さん。日本の若手を代表するショパン弾きです。彼女の
演奏に感銘を受けるのは、ショパンの「霊感(=人生経験)」を「楽譜」を通して得ている、もしくは、「得ようと」
懸命の努力をしています…と僕は感じます。その「姿勢」だけでも、胸を打つのです。

話を戻して…、

即興ではなかったけれど、事前に、クリスマスのエピソードをお客さんから募って、その中から選んで作曲した
音楽を披露するというプログラムがありました。村松さんがエピソードを読みあげます。つくづく、人生の数だけ
エピソードがあるなぁ…と思うのと同時に、身を構えて聴く側も、それぞれにエピソードを背負っていますよね。

「Kちゃん今どうしていますか?」

という名を与えられた音楽は、亡くなった
友人へのメッセージを綴ったエピソードを音楽にしたもの。

演奏を聴いていて僕は「あっ」と膝を打ちました(実際には声も音を出していませんが)。

ショパンの「バラード」が生まれた瞬間は、こんな風だったかもしれないな…と。

「ポーランド・ロマン主義を代表する作家ミツケェヴィチのいくつかの詩から霊感を得て作曲したものだと
いい、
ショパンがシューマンにバラードを弾いて聴かせたときそのことを確かめたが、ショパンは否定しなかった、と
伝えている。」

「ただ、シューマンの言葉だけが語り伝えられ、あたかもそれが真実であるかのようにとらえられて、多くの誤
った演奏解釈を生み…」

『新編 世界大音楽全集-ショパン ピアノ曲集Ⅱ-』(音楽之友社)佐藤 允彦さんの解説から部分引用

僕は、シューマンが語ったことが「嘘か真か」ということよりも、ショパンの霊感(=人生経験)を、音楽を通して、
シューマンは、自分のそれと重ね合わせることのできた作曲家兼聴き手だったことに、興味を覚えます。その
ような人物の発言なのです。「真偽」ということよりも…。

それと、もうひとつ。

ミツケェヴィチは霊感を詩に置き換えた。読み手となったショパンは、自身に存在する霊感によって、詩と重ね
合わせている。ですから、詩や物語の「書いてある通り」に、ショパンが受け取ったのかは、わかりようもない。
文学は、住所や電話番号のような「記号」とは、違うのですから。

「ショパンの言葉を借りれば、言葉による表現の及ばない純粋な音楽作品であった」(同)という内容で閉じる
この解説文は、まさに的確だと僕は思いますし、「Kちゃん…」の作品も「本質」は、同じ背景だなと思うのです。

言葉を綴った人、受け取った人、音楽を作る人、演奏する人、聴く人。皆さんに
「人生」がありますよね。そんな、
「当たり前のこと」から、僕にとっての「音楽の接し方」を考えさせられ、そして経験した日でもありました。

「クラシック音楽」が、今後どのような局面を迎えるかは、来年のショパン・イヤーで起きる「方向性づけ」により
見えてくるのかな? と感じます。ショパンの音楽から霊感を受けて、創造の担い手たちが、違う音楽を「創造」
する。そして、クラシックを始めとする「音楽の聴き手」が、「前向き」に受容してゆく。

最後に、20世紀初頭の大ピアニスト、ブゾーニが演奏したショパン「黒鍵」(「滑稽」ではありません)を聴いて、
結びにしましょう(1922年の録音なので音は悪いです)。

「8小節の右手のトレモロを2倍弾き、再現部の前では左手を2倍遅いテンポにして1小節分増やしています…」
(青柳 いづみこさん『ボクたちクラシックつながり…』から)と、多くの「付け加え」がありますね。卒倒するような
演奏かもしれません(「こっけん」ならぬ「こっけい」)。激怒する人も「今は」いるでしょう。でもこんな時代を経て、
「今」があることに気づかねばなりません。


ショパンの音楽から新たな「傑作」が創造されたら…と僕は感じます。「前向きな」聴き手にとっては、新たな楽
しみが増えるでしょう。そして、リアルな…等身大且つ現在形の…エピソードを、「創造者」と「重ね合て」聴ける
し、新たな「傑作」が生まれれば、再現専門の音楽家は「名演奏」を残そうとします。それでもやっぱり「原典」が
良い…と感じる聴き手も「出てくる」でしょう。僕は、その「流れ」に和的な要素が加わると面白い、と感じますが。

再現専門の「演奏」と「
作曲」双方の訓練を受けて、高度に自己表現できる音楽家の果たす役割が、大きくなる
時代だと僕は考えます。

作曲家・ピアニスト村松 崇継さんは、ご本人はとっても控え目な人ですが、音楽史の中で大切な役割を果たす
音楽家のひとりだと、僕は信じています。

今回も長文過ぎました…笑い。

お読みくださってありがとうございました。


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