アルティ弦楽四重奏団 2009.12.6 [コンサートやライヴで感じたこと]
僕が10代半ばの頃、大変お世話になっていました上村 昇先生のコンサートへ。
豊嶋 泰嗣さん(新日本フィルコンサートマスター、九州交響楽団桂冠コンサートマスター)と
矢部 達哉さん(東京都交響楽団ソロコンサートマスター)のヴァオリン。
川本 嘉子さん(92年ジュネーヴ国際コンクール・ヴィオラ部門で最高位(1位なしの2位))のヴィオラという方々と、
一緒に組んでいるアルティ弦楽四重奏団を聴きに…。
ともかく、この日聴いたベートーヴェンの「セリオーソ」は際立って美しかったのです。
♪♪♪
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弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品95に、ベートーヴェン自身は、「厳粛(セリオーソ)」という名をつけたのだけれど、
この曲に接するとき、弾き手も聴き手も、どうも肩に力を入れて深刻に弾き・聴く・・・そんな傾向にあると僕はいつも
感じておりますが、いかがでしょうか?
「セリオーソ」なんか知らない、という方のために、ちょっとこの音楽を聴いてみましょう(演奏団体は違います)。
この日聴いたアルティ弦楽四重奏団の「セリオーソ」は、出だしは「荒々しい全楽器のユニゾンで、第1主題がヘ短
調で始まる」(音楽之友社ポケットスコアの坂本良隆さんの解説から引用)のだけれども、変ト長調でチェロが弾く
主題の動機…6小節目の「ミ♭・レ♭・ミ♭・ファ」についてるディミヌエンドから途端に、僕の「セリオーソ」観とでも
いいましょうか・・・その世界が変わってしまったのです。
この音型は、「激怒をなだめるような静けさがもたらされる」(同じく坂本さんの解説から)のですが、「再びヘ短調に
もどって、怒涛の開始動機が全楽器のユニゾンで奏され」(同)るのだから、「通常」チェロは、鋭角的(スタッカート
がついています)な音を保ちつつ、荒々しい緊張感を残しながら次の展開に繋げてゆく…「はず」です。
ところが、今日上村先生が弾かれた、これらのたった4つの音には、より多面的で深い要素を感じさせるニュアンス
が存在しました。僕は、かなり驚いた。単なるディミヌエンドではなく…十分な緊張もあり…ひたすら美しい。
最もぴったりくる言葉は、最近の吉田 秀和さんが使う「メルトダウン」。何かが溶け出す。美しい「歌」の世界へ。
20小節目のff(フォルテッシモ)、non ligato(ノンレガート)は、第1ヴァイオリンの矢部達哉さんにしても、第2ヴァ
イオリンの豊嶋泰嗣さんにしても、あるいは雄弁なヴィオラの川本嘉子さんにしても、「全く楽譜の指示通り」に演奏
されているのだけれど、極めて「エレガントな」音楽になっていたのです。
「エレガント」…「セリオーソ」では無縁と思っていた言葉。
かつて、こんなに美しい「セリオーソ」があったのでしょうか?
かつて、こんなに流れる「セリオーソ」があったのでしょうか?
そして、何よりもこんなに歌に満ちた「セリオーソ」があったのでしょうか?
…少なくとも、僕の中に無かった「セリオーソ」経験。
もちろんそれでいて、脆弱とは無縁の骨太のベートーヴェン世界。迂闊にも第2楽章で涙がこぼれる寸前でした。
それにしても、なぜベートーヴェンは「セリオーソ(厳粛)」と名付けたのでしょうか? と思いながら聴き進むと…、
…音楽というのは あなた 「厳粛」に創造して演奏すれば それは 極めて美しい歌なのですよ…と
この「美演」を通して、ベートーヴェンが僕に話しかけてくる気がした…のです。
休憩後、今年没後200年を迎えたハイドンの超大作「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」。
つい先頃、国立新美術館で「THE ハプスブルグ」展を鑑賞してきました。ルーカス・クラナッハ(父)が描いた「聖人
と寄進者のいるキリストの哀悼」…まさにハイドンの「七つの言葉」の一場面です。多くの画家たちが、このテーマで
絵を残してきましたが、僕がクラナッハ(父)の絵から印象に残ったのは、山の稜線にうっすら輝く夜明け前の光りと、
深く青い空の見事なコントラスト。
「どんな(残忍で辛いこと)ことがあっても明日はやってくるのだし、太陽は昇ってくるのです」…と、今も昔も変わらぬ
カンバスに描かれた夜明け前の深く美しい青空を見て、僕はそう感じたのです。
そう、この「うっすら輝く夜明け前の光りと、深く青い空」という「高貴」で「美しい」イメージを、この日の演奏は、想起
させてくれました。ときどき後光が輝くほど。音は魂に届き、そして、ホールの中に減衰しながら溶けゆく。
「七つの言葉」は…オラトリオなどで歌詞を知る人は尚更そうかもしれないですが…「先に言葉ありきの音楽」だと、
そういう「ジャンル」の音楽だと、僕は今まで捉えていました。
実は、朗読などと組み合わせて、今日の公演がされれば面白いかもしれないと、聴き手の一人として勝手な思案
を僕はしていたのです。もっともそうなれば「芸術」の領域にある朗読者が必要となりますし、これはこれで「人」の
選択が非常に難しいのですが。
今日のカルテットのみによる純粋な音だけの演奏を聴いて…今年はカルテットによる「7つの言葉」は2度目です…
次のようなことを考えている自分に気づきました。
ハイドン自身は、この作品を「初めて音楽を聴く人にも深い感動を与えずにはおかない」と自負していたほどの傑作
と認識していました。一方、「聖金曜日の礼拝において、福音書のキリストの十字架上での七つの言葉をそれぞれ
読み、『瞑想する』時間に演奏されるための音楽」でもあったらしいのです。
つまり…、
「瞑想する時間に演奏されるための音楽」が、作品本来の姿だったのならば、「瞑想」(≒眠り)に入った聴き手が多
かったのは、むしろ仕方のない…いや、もしかすると、これが「あるべき姿」かな? と僕は感じたのです。もし、言葉
を介在した上で聴けば、きっと瞑想の邪魔になる「人も」いたことでしょう。いや、瞑想は「祈り」かもしれませんがね。
そうなれば、音楽を聴く行為そのものから、離れてしまう可能性もあり得ますね。なぜなら、あまりも内容が「劇的」に
過ぎるからです。そして、何よりも、僕が、クラナッハの絵から伝わった感覚と「自由に重ね合わせる」という余裕すら
与えない・・・もう逃げ場のない大傑作ですから。
そういった意味では、静かに「瞑想」しつつ大作を鑑賞できたと感じます。
アンコールは、ハイドンの弦楽四重奏曲「セレナーデ」から第2楽章アンダンテ・カンタービレ。
ピツィカートひとつで既に「音楽」になっているカルテット…極めてエレガントな音楽の世界を僕は感じました。
ありがとうございました。
2009年12月6日(日)フィリアホール
ヒデキヨさん、こんばんは。
更新ありがとうございます。
矢部達哉さんのお名前に目がハート!になりました。
若かりし頃Sotto Voceを聴いて、とにかくキュンときて、
バイオリンって何て美しいの!と思わせてくれた方・・・。
エレガント、ん~、妄想が広がります~(笑)。
カルテット、聴きたかったなあ。
by ひとみ (2009-12-15 21:46)
ヒデキヨさん、こんばんは。
ベートーヴェンの「セリオーソ」。知らなかったので聴かせていただきました。やっぱりベートーヴェンの曲って好きです。なぜだろう~?最初の激しい動機が曲中に何回も繰り返されたり、途中優しいメロディになったり。「高貴」で「美しい」。大作曲家と言われるこの方の「高貴」で「美しい」心が音楽の中に表れているのだと思うのです。弦楽四重奏の響きも美しいですね。
ベートーヴェンと言えば、これから年末の第9のシーズンです。
「人類は皆兄弟。」世界の平和を歌いましょう!
by 音楽っ子 (2009-12-15 23:14)
ひとみさん ありがとうございます
フィリアホールでは年間2回の公演がありますので
ご機会ありましたら 是非どうぞ
by ヒデキヨ (2009-12-18 21:17)
音楽っ子さん ありがとうございます
「セリオーソ」初めてなんですね
こうやって触れてもらえる機会を提供させてもらっただけでも
僕は 嬉しいです(YouTubeの動画変えます…)
>動機が曲中に何回も繰り返されたり
その通りですよね
ベートーヴェンは 動機ともリズムのシンプルな変化ともいえぬ
「モチーフ」を…もう 繰り返しそればっかりを使いますよね
「第5」はその典型です
モーツァルトの作品と比べると歴然としています が
人生を比べているようなものであって 比較自体は意味しません
違う…ということです
ただ 最後のカルテット「16」…これは美しさ楽しさの極みで
やっと その世界に到達したのだろうか? とも感じます
「16」は もう少ししたら 改めて書く予定です
by ヒデキヨ (2009-12-18 21:19)