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村松 崇継 Piano Sings X'mas 東京公演 2009.12.9 結び編 [コンサートやライヴで感じたこと]

「大作曲家たちが傑作をたくさん書いてしまい…即興演奏の伝統は衰えていった」とありましたね。

なるほど、と僕は思います。そして、こうも考えます。

「大作曲家たちの傑作を演奏する専門の音楽家たちが次々と誕生し、数々の名演奏を残していった。それは、
様々な録音媒体に記録され、名演奏に必須の、ときには「ハプニング」も含むニュアンスまで、装置を通して、
何度も同じように完全に再現され、聴衆は繰り返し繰り返し、傑作の「名演奏」を楽しむ時代になりました」と。

「生身である」演奏の専門家は、常に「名演奏」と比較され続けている、という時代が「現代」でもありますね。
そのことに、いち早く気づいて、コンサートからドロップアウトして、レコードしか作らなくなったのが、グールド。
グレン・グールドといえば、伝え聞くところ「超デリケートでナイーヴ」でした。村松さんと少しかぶります。

さて「即興」。

この日も、お客さんが出した「テーマ」に応じて即興演奏をする、という場面がありました。
意を決して(…と思います) 「テーマ」を言ったのは20代女性の方。「奇跡の出会い」が与えられた「お題」


その後の成り行きが僕にはとても興味深く、ここに「即興演奏」の勘所があると感じました。

「奇跡の出会いですかぁ?…」「大きいテーマですね…」

とやり取りしながら、村松さんは集中をして、彼の中にある「霊感」を掴もうとする。霊感
? それは何か?
僕は、それは「人生の体験」と言い換えても良いと思います。

お題を与えられた村松さんが、自身の「奇跡の出会い」経験にリンクしている。「同時に」(ここが大事です)、
聴き手たちも、自身の人生に存在する『奇跡の出会い』体験」と、重ね合わせている「空気」を感じたのです。
創造して弾く人の経験と、聴く人の各々の経験が、音楽を通して「重ね合う」…そんな感覚です。

創造と演奏を同時に行う村松さんの「人生(=経験」)と聴き手のそれとが、音楽を通して重なり、交わり合い、
自分の心に入る…昔、武満 徹さんが仰ったように、
音楽は「空気の振動」ですから、ドビュッシーのいう「エク
トプラズ
ム」のように、自由に形を変えて、聴き手の「心」の中に留まるのです。

優れた即興とは、創造と演奏と聴き手が、「人生(=経験)」を重ね合わせることが「できる音楽」と、考えられ
ないでしょうか? そして、これこそ「再現芸術」にも必要な要素と僕は考えます。なぜなら「本物の」再生装置
「自体」には、「人生(=経験)」が存在しませんから。

話はそれて…、

辻井 伸行さんやフジコさんには、「クラシック」として異例なくらい、多くの聴き手が集まりますよね。集まった
人たちは、一体何を聴いているのか? 何を感じているのか? 何となく見当がつきそうですね。また、いつか、
書く機会があれば…と思います。それから河村 尚子さん。日本の若手を代表するショパン弾きです。彼女の
演奏に感銘を受けるのは、ショパンの「霊感(=人生経験)」を「楽譜」を通して得ている、もしくは、「得ようと」
懸命の努力をしています…と僕は感じます。その「姿勢」だけでも、胸を打つのです。

話を戻して…、

即興ではなかったけれど、事前に、クリスマスのエピソードをお客さんから募って、その中から選んで作曲した
音楽を披露するというプログラムがありました。村松さんがエピソードを読みあげます。つくづく、人生の数だけ
エピソードがあるなぁ…と思うのと同時に、身を構えて聴く側も、それぞれにエピソードを背負っていますよね。

「Kちゃん今どうしていますか?」

という名を与えられた音楽は、亡くなった
友人へのメッセージを綴ったエピソードを音楽にしたもの。

演奏を聴いていて僕は「あっ」と膝を打ちました(実際には声も音を出していませんが)。

ショパンの「バラード」が生まれた瞬間は、こんな風だったかもしれないな…と。

「ポーランド・ロマン主義を代表する作家ミツケェヴィチのいくつかの詩から霊感を得て作曲したものだと
いい、
ショパンがシューマンにバラードを弾いて聴かせたときそのことを確かめたが、ショパンは否定しなかった、と
伝えている。」

「ただ、シューマンの言葉だけが語り伝えられ、あたかもそれが真実であるかのようにとらえられて、多くの誤
った演奏解釈を生み…」

『新編 世界大音楽全集-ショパン ピアノ曲集Ⅱ-』(音楽之友社)佐藤 允彦さんの解説から部分引用

僕は、シューマンが語ったことが「嘘か真か」ということよりも、ショパンの霊感(=人生経験)を、音楽を通して、
シューマンは、自分のそれと重ね合わせることのできた作曲家兼聴き手だったことに、興味を覚えます。その
ような人物の発言なのです。「真偽」ということよりも…。

それと、もうひとつ。

ミツケェヴィチは霊感を詩に置き換えた。読み手となったショパンは、自身に存在する霊感によって、詩と重ね
合わせている。ですから、詩や物語の「書いてある通り」に、ショパンが受け取ったのかは、わかりようもない。
文学は、住所や電話番号のような「記号」とは、違うのですから。

「ショパンの言葉を借りれば、言葉による表現の及ばない純粋な音楽作品であった」(同)という内容で閉じる
この解説文は、まさに的確だと僕は思いますし、「Kちゃん…」の作品も「本質」は、同じ背景だなと思うのです。

言葉を綴った人、受け取った人、音楽を作る人、演奏する人、聴く人。皆さんに
「人生」がありますよね。そんな、
「当たり前のこと」から、僕にとっての「音楽の接し方」を考えさせられ、そして経験した日でもありました。

「クラシック音楽」が、今後どのような局面を迎えるかは、来年のショパン・イヤーで起きる「方向性づけ」により
見えてくるのかな? と感じます。ショパンの音楽から霊感を受けて、創造の担い手たちが、違う音楽を「創造」
する。そして、クラシックを始めとする「音楽の聴き手」が、「前向き」に受容してゆく。

最後に、20世紀初頭の大ピアニスト、ブゾーニが演奏したショパン「黒鍵」(「滑稽」ではありません)を聴いて、
結びにしましょう(1922年の録音なので音は悪いです)。

「8小節の右手のトレモロを2倍弾き、再現部の前では左手を2倍遅いテンポにして1小節分増やしています…」
(青柳 いづみこさん『ボクたちクラシックつながり…』から)と、多くの「付け加え」がありますね。卒倒するような
演奏かもしれません(「こっけん」ならぬ「こっけい」)。激怒する人も「今は」いるでしょう。でもこんな時代を経て、
「今」があることに気づかねばなりません。


ショパンの音楽から新たな「傑作」が創造されたら…と僕は感じます。「前向きな」聴き手にとっては、新たな楽
しみが増えるでしょう。そして、リアルな…等身大且つ現在形の…エピソードを、「創造者」と「重ね合て」聴ける
し、新たな「傑作」が生まれれば、再現専門の音楽家は「名演奏」を残そうとします。それでもやっぱり「原典」が
良い…と感じる聴き手も「出てくる」でしょう。僕は、その「流れ」に和的な要素が加わると面白い、と感じますが。

再現専門の「演奏」と「
作曲」双方の訓練を受けて、高度に自己表現できる音楽家の果たす役割が、大きくなる
時代だと僕は考えます。

作曲家・ピアニスト村松 崇継さんは、ご本人はとっても控え目な人ですが、音楽史の中で大切な役割を果たす
音楽家のひとりだと、僕は信じています。

今回も長文過ぎました…笑い。

お読みくださってありがとうございました。


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ひとみ

ヒデキヨさん、こんばんは。

超大作、さすが~と唸りつつ(笑)、楽しく読ませて
頂きました。ありがとうございました。

>創造して弾く人の経験と、聴く人の各々の経験が、
>音楽を通して「重ね合う」…

そして、渾身の力で紡がれた音楽が、
ひとたび奏者から伝い出たとき、
それはシンプルであればあるほど普遍性を増し、
より多くの聴き手と共鳴する・・・

村松さんの音楽は、このツボにどうしようもなく
はまってしまうのだと・・・思います。

感想が短くて、本当にすみません。(笑)
これからも楽しみにしています。

改めて、ありがとうございました!

by ひとみ (2009-12-14 23:01) 

音楽っ子

ヒデキヨさん、こんばんは。

私の書きたかったことがまとめてある~と思いましたが、まだまだ書かせて下さい。

ヒデキヨさんの文章を読んで思ったのですが、村松さんのCDのブックレットには、楽曲への想いが丁寧に書かれており、そのコメントが「私も思った事がある~!」というものが多く、共感します。そして音楽を聴いて更に想いが伝わり感動するのです。

なかでも「Departure」という楽曲との出会い。これが私にとって一番大きなものでした。この曲と出会った時の私は、人生最大の落ち込みよう。自分はもう何をやってもだめなんじゃないかという無力感の中におり、とてもあせっていました。(思い出すと涙が出る…)そんな中、村松さんが出演されたスタジオパーク。

村松さん御自身がもがき苦しんできた経験を語られ、同じように苦しんでいる人たちへの応援曲になれば嬉しいと「Departure」を明るく楽しく弾いておられる姿を拝見し、心の底から勇気づけられたものです。「Departure」は、いつでも元気になれる名曲(私の宝物)です!そして、そこから村松さんの数々の素晴らしい楽曲との貴重な出会い…。

私が元気になれたのは、村松さんのおかげです。本当に感謝しています。前回も言いましたが、村松さんの言葉(音楽)は、今を生きている全ての人の心に優しく、時には強くこれからも語りかけていくのでしょう。そして、やはり音楽の力というものを私は実感するのです!

ピアニスト、グレン・グールドの事はテレビで拝見して知っています。あまりの繊細さに驚いたものです。村松さんとかぶるという言葉、何だか納得します。(村松さん御自身は繊細・ピュアを笑いのネタにしておられますが、それはそれでおもしろい!)

私も長くなってしまいました。(笑) 
気付いたらこんな夜更けに!(汗)

村松さんをこれからも応援したいです。私が勇気づけられたように。
ヒデキヨさん、またコメントさせていただいてもよろしいですか?






by 音楽っ子 (2009-12-15 00:54) 

ピカ

>優れた即興とは、創造と演奏と聴き手が、「人生(=経験)」を重ね合わせることが「できる音楽」と、考えられ
ないでしょうか? そして、これこそ「再現芸術」にも必要な要素と僕は考えます。

村松さんは、感受性や芸術性、人間性、五感や感性が
人よりもうんと豊かであるから
素晴らしい曲がすぐに浮かぶのでしょうね。
それから、性別の垣根を超えてしまうような感性、考えの持ち主であると
時々そう感じさせられます。
そういった点も彼の魅力のひとつだと思います。

>音楽史の中で大切な役割を果たす
音楽家のひとりだと、僕は信じています。

今年も更なる躍進を遂げてくださることでしょう。
応援する側も力が入ります(*^_^*)
by ピカ (2010-01-01 22:42) 

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