岡本太郎。「ぶつかり合うことが調和」。 [敬愛するアーティストたち]
岡本太郎のこの言葉に深く共感する今日この頃。
「正反対のものがバンバンぶつかり合う事によって両方が開く」とも語る。
僕は、岡本太郎のこの言葉をきいて、
衝突と和合を繰り返して「新しい結晶体」が生まれる。それが「芸術」なのだろう、と感じます。
「尺八+琵琶+ピアノ」で、今回は新たな作品(結晶体)を御用意して開きます。
日時:2010年5月27日(木)19時~
場所:日比谷スタインウェイサロン東京松尾ホール
出演:中村仁樹さん(尺八)、塩高和之さん(薩摩琵琶、楽琵琶)、菊池智恵子さん(ピアノ)
詳細は後日アップしますが、
ぜひ、今のうちから御予定を空けて頂ければ、幸いです。
御来場、お待ち申し上げております。
走る作曲家・ピアニスト~村松崇継さん [敬愛するアーティストたち]
お久し振りにお会いした作曲家・ピアニスト村松崇継さん。
最近の村松さんはとてもとても大忙し。そのスケジュールは過酷といっても良いほど。
お身体を壊さずに頑張ってられるな…。でも、お身体大切に。
エライなぁと感じるのは…、
作家先生として裏に留まるのではなくて、表に出てきて自らのイヴェントをこなすこと。
その姿勢は、いろんな意味で、とっても素晴らしいのです。ガンバって~!
写真は都内某所。
舞台裏の暗闇から楽屋へ向かうところ。
中村天平・TEMPEI NAKAMURA [敬愛するアーティストたち]
中村天平(なかむらてんぺい)さんというアーティストがいる。
僕が今でも鮮明に覚えているのは、デスクの上に置かれていた「大型新人アーティスト!」というキャッチコピーと、
「普通ではない経歴」が書かれた紙資料だ(経歴についてはTVニュースをどうぞ⇒こちら)。
足を運んだ高田馬場の小さなライブハウスでは衝撃的だった。手元に届いた試聴盤を何度聴いても、今ひとつその
「良さ」がまっすぐ伝わらなかったのに、実演の方が「聴かせてくれる」彼の存在感に、とても面白く感じた…今どき!
添付した映像は、そのときの様子ではなくて、さかのぼること約1年前のニューヨークで。『フレイム』という作品です。
自作一本で表現するのも潔い。それこそ、ピアニストの卵たちは音大生から国際コンクール上位入賞まで「ゴマン」
といる。その中から職業音楽家(=プロ)で活躍できるのは一握り。その職業音楽家達から「アーティスト」として
存在し得るのは、一握りの中のたった一粒。こうやってデビューできること自体、何か存在意義があると僕は感じる。
製作したプロデューサーが、もしピアノの専門家でなければ彼をスカウトしたか…並みの努力と運では困難な世界。
彼は「命運」を背負っているとも感じる。そんな中村天平さんは、本日7月19日で29歳になる。
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クラシック音楽をみなさんに。Classical Music Cafeへようこそ!
天平さんの実演に接したとき、彼自身が影響を受けたジョルジュ・シフラというピアニストが、イメージとして浮かび上が
ってきた。リスト弾きとして名高いシフラは、そのアクロバティックな芸風に必ずしも正統的なピアニストとしての評価が、
残念だけど高いとはいえない。ただ、音楽に「息を呑むような」スリリングさを聴衆に与えて、一世を風靡した名手である
ことは間違いないのと同時に、即興の大変な名人でもあった。
そして、即興といえば、僕は、これこそ正統派ピアニストのフリードリヒ・グルダを思い出す。
バックハウス以来最高のベートーヴェン弾きだったグルダは35歳で、「今後こういった(クラシックの作品を弾く)仕事は
なるべく控え、自作の演奏に力を入れたい」(『吉田秀和全集』23)と発表して、当時は、ちょっとした騒ぎだったらしい
けれど、グルダの態度から吉田さんが感じられたのは「クラシックの決りきった曲をひいているだけでは半分しか生きて
ないも同じで我慢できない。あなた方音楽家も音楽好きも、それで満足なの?」(同)。
そのフリードリヒの息子で、これまた有能な音楽家のパウル・グルダが、天平さんの音楽をとても気に入っているという
話しを聞くと、聴き手の一人として嬉しくなる。
親父さんも、あのピアニストはこう弾いたから、ああ弾いたからと、ときに無意味とも思われる比較をされ続け、息子の方
は息子で、偉大な父との比較をされてきた…そんな人生を歩んできた中で、天平さんのような比較のない「絶対世界」を
自ら創ろうとしている若者に、音楽芸術の理想を感じたのだろうか? ともかくパウルからすれば天平さんの「音楽」から
何を感じたかを表明するしかないのだ。そこには経歴も一切関係ない。
ところで、パウルの活動のひとつに、ロマの楽団との共演がある。ロマといば天平さんに影響を与えたシフラの出身だ。
世の中面白い。どこかで何かが繋がっている気もする。ロマ音楽の…単に「美しきこと」ではない熱狂的な…だが、
シフラがときに示した官能的な静けさをも包み込む音楽。妙技と叙情の両面を持つ天平さんの音楽の「根」は、日本に
あると思うが、聴き手の受け入れ方を「発展」させるのは、日本やアメリカよりも、欧州かもしれない。
実際、レーベルの本部がある英国の首脳陣からは、天平さんの音楽が非常に高い評価を得ているとも聞いた。
僕には修験者のような風貌にも見える天平さんだけれど…少し語弊を与える危険も承知の上で、「サムライピアニスト」
という親しみやすさで、来年頃は欧州のパリあたりで目覚しいご活動をされていたらな…と、僕は聴き手の一人として
お祈り申し上げます。パリこそは芸術という芸術は何でも受け入れて、世の中のアートを供給してきた都市でもあった。
そして、ウィーンからパリへ流れ着き…シフラの活躍の場が圧倒的に広がったように。
本日は天平さんの誕生日。改めて祝す!
作曲家・ピアニスト 村松崇継 [敬愛するアーティストたち]
作曲家・ピアニストの村松崇継さん。年齢的には若手のアーティストなのだけれど業界では良く知られる存在。
皆さんがご覧になっているドラマや映画では、村松さんの音楽がたびたび使われているのです。
では名刺代わりに、村松さんが作曲された、ボーイ・ソプラノ・ユニットのリベラが歌う『彼方の光』をどうぞ。
これはNHKドラマ『氷壁』の音楽。ドラマをご覧になっていた方は、あの壮絶なシーンとセットでこの「天上の調べ」を
思い出されるのではないかな? このメロディー…観る者の行き場のない気持ちを救う役割りを、果たしていたはず。
懐かしくて美しいメロディー、賛美歌のような慈悲に満ちた…この音楽を作曲したのが村松崇継さん。
たったひとりの孤独なリハーサル。
村松さんは作曲家であると同時に優れたピアニスト。正直に書いてしまうと、いまどき…どちらもこなす…つまり、
ピアノをきっちり弾ける作曲家も、美しい音楽を作曲するピアニストも…どちらもできるのは貴重な存在なのです。
厳しくとことんまで磨き上げるリハーサル。ピアノを弾いている間、僕は一度も村松さんの笑顔を見なかった。
舞台では楽しいトークもあって聴き手を笑わせたけれど、音楽に対してはとてもとても真剣だった。普通なら
勝手知ったる自分の作品を弾くのだからそこまでやる必要はない。でも、そこが村松崇継さんらしくて良い。
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クラシック音楽をみなさんに。Classical Music Cafeへようこそ!
村松さんに初めてお会いしたのは、チェリストの新倉瞳さんのリサイタルで。終演後、E社のEさんから村松さんを
紹介してくれたのです。少し会話が進んで僕が感じたのは「ああ、なんと気遣いが自然な人なのだろう」。そして、
「何とナイーヴな人なのだろう!」。いっぺんにその人間性のファンになってしまった。
公私にわたってお付き合いさせて頂く中で、気づいたことが二つあるので書いておきますね。
ひとつめは…小さい声で言いますが…村松さんの才能は天与のモノ。音楽もだけど、ナイーヴさ加減が半端ではない。
このナイーヴさは、歴史的名ピアニスト、グレン・グールドとときに重なる。つまり繊細な音楽を行える人ということ。
二つめは…作曲家が優秀なピアニストとしても活動することを目の当たりにして、大事なことを気づかせてくれた。
アルバム『ピアノ・シングス』(TOCP-70678 )で聴く演奏に比べて、リサイタルではもっと自在で奔放で劇的な
演奏だったですよね。実務的なことを書けば、他の楽器が加わったアルバムは、お互いにアンサンブルとして
合わせなきゃダメだから…同乗者がいるクルマの運転と同じで丁寧に正確に…イン・テンポで演奏する。なので、
ひとりで運転するならルールの範囲で好きなようにやれば良いわけなんです。でも…ひとりで演奏するといっても
こうも音楽のニュアンスが違うの? と僕は驚いたのです。自分で作った曲を自分で演奏しているのに…だけど…
(ここからが大切)モーツァルトはモーツァルトらしくとか、ベートーヴェンは古典派だから、それらしく演奏されるべき
という論調(考え方)があるのです。クラシック音楽の世界では。でもね、村松さんのこの「違い」で思い出したのは、
リストやショパンから実際にレッスンを受けたレンツの回想録のことなんです。
ショパンの自作自演を聴いたレンツは、
「楽譜を読んだ印象と、実際に響く現実の音の世界」には食い違いがあったことを書き記しているのです。そして、
「彼の意図やピアノについての認識を考慮しないなら、彼の作品は理解されないままで終わる危険性がある」とも。
引用(W.フォン.レンツ(中野真帆子訳)『パリのヴィルトゥオーゾたち ショパンとリストの時代』ショパン社)
村松崇継さんが、現代のこの世の中でピアニストで作曲家でもあるということは、事実以上の大きな意味を持つと、
僕は感じているのです。『彼方の光』は、今後100年間は聴かれる音楽・メロディーだとも。
今日は7月2日。村松崇継さんのお誕生日を祝して。
※写真の無断使用・転載ははご遠慮ください※
アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリ [敬愛するアーティストたち]
アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリ。
「現代ピアニストの祖」といっても良いこの芸術家に対して、晩年、親しい人たちは頭文字から「ABM」と呼んだ。
1920年1月5日(6日)、イタリア、ブレシア近郊のオルツィオヌオーヴィで生まれる。
ABM自ら「ミケランジェリ家は、アッシジの聖フランチェスコの末裔だ」といった。
18歳でイザイ・コンクールに参加するものの、結果は7位で終わる(1位はエミール・ギレリス)。
翌年のジュネーヴ・コンクールでは優勝。審査委員には、アルフレッド・コルトー、イグナーツ・パデレフスキなど。
特にコルトーからは「リストの再来」だと賛辞を受ける。しかしこの年、世界は、第2次大戦へ突入する。
第2次世界大戦中は、空軍パイロットとして従軍する。3度捕虜として監禁されるが、奇跡が重なり生き残った。が、
「…『私は、もっとも良く過ごすべき6年を失った』と語っていたことはほんとうだろうと思う」と青柳いづみこさんは書く。
『ピアニストが見たピアニスト』(白水社)。優秀なABMの同業者にして優れた文筆家の推察は、意味合いが重い。
1949年、ショパン没後100年のオフィシャル・ピアニストに選ばれる。本格的な活動を再開する。
趣味は、カーレース。ABMが操縦するフェラーリに同乗した人物は「生きた心地がしなかった」と恐怖体験を語った。
自分専用のピアノと調律師を従えて、コンサートツアーに出かける。だから、しばし、NYのスタインウェイ社と衝突。
名調律師、故杵淵直知さんが「調律師でもあれだけの手つきで(鍵盤の)深さの定規を扱う人を数多くは知らない」と、
いわせるほどピアノの構造・調整面に対しても高度の知識と技術を持ち、「人間とは思えぬ感覚」が加わる。
ABMとピアノそのものについて、ABMとピアノ技術者については、豊富なエピソードが存在。いつかまた書きます。
弟子は、とても多い。マウリツィオ・ポリーニ、マルタ・アルゲリッチといった、現代の巨匠も一時期ABMから学んだ。
近頃名演を聴かせたクリスチャン・ツィメルマンや、もう一回り若い世代のピョートル・アンデルシェフスキといった名手
をはじめとして、多くのピアニストたち…ビル・エヴァンスも!…が、ABMから少なからず影響を受けています。
1995年6月12日没。昨日が命日でした。
チエロ名手再訪~フオイヤーマン夫妻 [敬愛するアーティストたち]
朝、ハーブティーを飲みながら新聞を読んでいると「チエロの名手再訪」という見出しに出くわした。
それにしても「チエロ」って…。「春の楽壇を飾るチエロの名手エマヌエル・フオイヤーマン氏夫妻と伴奏者のオルガレダレグナー氏など300名の各国人を乗せたM・ジャパン号が18日午前8時30分、ホノルルから横浜港へ入港した」…ん?
いつの新聞だろう?
…ああ、寝ぼけているのか…
記事は続く「フオイヤーマン氏は一昨年秋も来訪したとおりチエロのナムバー・ワンであり夫人のエバさんとは六ケ月前ドイツで結婚この旅行はまた嬉しい新婚旅行でもある」。
写真は満面の笑み。実は図書館でコピーしてきました。昭和11年4月19日の東京朝日新聞から。笑
このときの来日公演を聴かれたという、大阪在住で僕のクラシック音楽の大先輩K先生にお電話で詳しく伺うと、
「昔のこと過ぎて忘れてしまいました。ハハハ…」。
故大田黒元雄さんの批評には「カザルスの老いた今日、たしかに天下無類といえよう」や「あの弓の使ひ方の如きは明らかに神妙の二字に尽きる」と書き残している。
「神妙な使ひ方」をポッパーの「スピニング・ソング」で観てみましょう。
ポッパー特有のハンガリッシュな雰囲気とウィーン風とでもいえば良い「気品の混在」した超・名演。よくぞ残った映像。
時代を感じる特撮も面白いけど、この神妙な技巧がいかに凄いのかを(気持ち的に)劣化せずに、撮影者は伝えようとしたのでしょう。よくわかります。
こちらはドヴォルザークの「ロンド」。何という演奏!誰もが見て叩いて音程を取りに行く箇所、ちらっと見てほとんど触れただけで一発OKの鮮やかさ!指と腕が勝手に正確にそこに行く感覚。圧倒的名人芸なのにポーカーフェイス。難しいハイドンニ長調の協奏曲(ナクソス8.110908 )も信じられぬ演奏クオリティー。一度目の前で聴きたかったな。
クラシック音楽をみなさんに。Calssical Music Cafeへようこそ。
チェロの歴史的名手エマヌエル・フォイアマン(1902~1942)について書きますが、わかっていることは、パブロ・カザルスよりも約30年後に生まれて、約30年早く亡くなっているということ。そして、現代でも通用しそうなトップクラスの技術の圧倒的完成度。つまり、ヴァイオリンのハイフェッツと同じ存在ということ…だけでしょうか?
僕にとってフォイアマンの存在はある意味謎なのです。「彼が長生きしていたらチェロの世界はどうなっていたか」。
夭逝の天才にいつも投げかけられる質問ですね。少しだけ想像はつきますが、はっきりとはわからない。
チェロの王者フォイアマンの命日は本日の5月25日。復刻の完全全集が出ても良いと思うのは僕だけでしょうか?
ちなみに全くの余談ですが明日は僕の誕生日です。笑
聖者カルロ・マリア・ジュリーニ [敬愛するアーティストたち]
左からピアニストのミケランジェリ。そして指揮者ジュリーニご夫妻。この写真を見たとき僕は何という方だろうと思った。
もちろん今日が誕生日のカルロ・マリア・ジュリーニ(1914.5.9~2005.6.14)のことである。推定身長198センチの長身痩躯なジュリーニが、膝を折って奥様との写真に納まるという…当時ロスアンジェルス・フィルの音楽監督の重責にあって、ドイツ・グラモフォンのトップアーティストのすることだろうか…写真は、著者コード・ガーベンが撮影したプライヴェートなもの。そう!プライヴェートのヒトコマで。素敵だと思う。そして、ジュリーニは本当に奥様を愛されていた。
ジュリーニの指揮姿を初めて観たのは、ミケランジェリと共演したベートーヴェンの「皇帝」のヴィデオ。もう20年以上も前のことです。擦り切れるまで観た僕のVHSの画像は酷いものですけれど、You Tubeのこの映像は、状態が良いようです。でも、音質は最上とはいえない。だけど、とても貴重な映像資料なのでここで紹介しておきます。この演奏は名盤としてもよく知られていて、より高音質な仕上げで美しく聴けます(ユニバーサル:UCCG5022)。長い手から振り下ろされ、ウィーン交響団からもったいぶって発せられた音楽は、とても壮麗で、旋律は美しく歌われる。
オケのメンバーが、ジュリーニを信頼している様子が映像から感じられます。ちょっとした手の動きにも反応しています。そして、その信頼は楽団員だけではなくて、超・気難し屋のピアニスト、ミケランジェリからも伺えます。例えば9分51秒あたりでは、そっとミケランジェリは指揮を見て合わせています(これは普通)。そして、9分55秒あたりのジュリーニの「うんうんと頷くしぐさ」を確認してから、同じく「うんうんと頷くしぐさ」で、ミケランジェリが次のフレーズに突入しています。僕はこの瞬間が好き。若い頃から何度も「皇帝」をやってきたイタリー出身同士の間柄ということもあるのでしょう。
こちらは、名ピアニスト・ホロヴィッツとご一緒の風景。録音したばかりのモーツァルトのピアノ協奏曲第23番のプレイバックを、両マエストロがチェックしているところです。無邪気なホロヴィッツと周囲に気遣い、音楽に深い注意を払う紳士のジュリーニがとても対照的です。このジュリーニの気遣いを現場スタッフがきちんと汲み取っていれば、臨時編成のオケからでもより繊細な響きが収録できたと思います。それはそれとして、練習やリハーサルのときは、いつも白いカシミヤのカーディガンを羽織るスタイル。とても良くお似合いでお洒落。お住まいのあったミラノの風景と調和しそうですね。
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クラシック音楽をみなさんに。Classical Music Cafeへようこそ!
初めて「敬愛するアーティスト」に登場したのは、イタリアの名指揮者カルロ・マリア・ジュリーニです。今回は、敬愛するマエストロについて書かれている数多くの文章から、特に僕の好きな2つを選んで、生誕祝いとさせて頂きます。
「…(略)指揮者カルロ・マリア・ジュリーニには、一度だけお会いして話しを伺ったことがある。そのときの彼は、ぼくがお会いした数多くの音楽家のなかでも特に印象に残ったひとのひとりとして、今もって記憶に新しい。そこで受けた彼の印象をひと言で形容するなら、彼が言葉の最良の意味における『ジェントルマン』であったということだろう。
長身痩躯の彼は、見事な仕立てあがりのスーツに身をかため、ネクタイをはじめ、身のまわりのものはすべてよく吟味されていてピタリと決っており、まさに一分の隙もない。だまって立っているだけで、周囲を圧するよな威厳をただよわせている。それでいて、物腰はたいそうやわらかで、相手の話をよくきき、自分の話しをするときはきわめて謙虚だ。
(略)ふつう、ジュリーニほどのビッグネームがあまりに謙虚に振舞うと、相手はかえって居心地が悪くなってしまうものなのだけれど、彼の場合はその稀有のお人柄の深い部分から自然ににじみ出てくる優雅さ、やさしさなどのせいか、周囲に少しも異和感を感じさせない。このような個性の持ち主が、あの悪評高き音楽界の頂点に立っているのかと、話しを伺いながらぼくは心底度肝を抜かれるおもいだった。(略)」(吉井亜彦さん執筆解説書(ソニー:SRCR8939)から)
「ウォルター・レッグは、多くの音楽家の性格的な特徴について、ゴシップ記事にでもなりそうな口調で話した。その際に、無傷の状態で話題に上ってきた唯一の人物が、カルロ・マリア・ジュリーニであった。『彼は聖者なんだよ』とレッグは言った。」(ロバート・チェスターマンの言葉)
カルロ・マリア・ジュリーニについては、フラックさんが愛情を込めて作成されたozio elevatoがとても素晴らしいです。ご興味があれば、一度ご覧になって下さい。