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ペーター・レーゼルというピアニストは…、 [コンサートやライヴで感じたこと]

Peter Roesel_ Homepage.jpg

=写真をクリックしますとペーター・レーゼルさんのホーム・ページに飛びます=

ステージ上でベートーヴェンを弾くレーゼルさんを眺めていると、「スマートなベートーヴェンがそこにいる」という

感覚を僕は持ってしまう。ここでいう「スマート」は、賢くて的確な判断ができ、有能なという意味においてです。

いかり肩で弾かれる力を込めた音。耳を楽器本体に傾けて、前かがみになってデリケートに鍵盤に触れた音。

あるいは、ここぞというメロディーで、口を「モゴモゴ」させながら音楽を追う姿。それらを見て僕が感じたのは、

「ああ、ベートーヴェンも当時は、あんな仕草をしながら弾いていたのかもしれないな」…ということです。

♪♪♪♪♪♪♪♪

クラシック音楽をみなさんに。Classical Music Cafeへようこそ!

もちろん楽器も、ホールも、そして聴き手の「耳」も、ベートーヴェン当時(200年以上前)のそれとは、何もかも違う。でも、公開演奏会のベートーヴェンはあんな風かもしれない…と思い馳せながら、レーゼルさんが弾くベートーヴェンのソナタを聴いた。ならば、レーゼルさんはベートーヴェン自身そのものか?それは絶対に違うと思う。レーゼルさん流の「節度」がいつも貫かれている。その貫かれ方は頑固なほど。少しでも、面白く・わかりやすく弾いてみせることもできるはずなのに、レーゼルさん流の「節度」でもって「表面的迎合」の類一切を拒否する。

しかし、それは、なぜか?

演奏会終了後、少しだけレーゼルさんのお話を伺う機会が与えられた。短いやり取りを書いてみる。

…は僕。

…レーゼルさんに質問があるのですが

R「質問はひとつですか?二つですか?三つですか?」

…ひとつです

R「わかりました。できるだけお答えしましょう。」

…レーゼルさんが最も影響を受けたピアニストは誰でしょうか?

R「それは、教育的においてでしょうか?それとも芸術的においてでしょうか?」

…芸術的においてです

R「リヒテルです。私はモスクワに留学していたとき、リヒテルの生演奏を30回聴くことができました。そのリヒテルの演奏を通して、私の音楽のレパートリーにおける糧としました。」

体裁的なことを先に書けば、レーゼルさんは、人生の大半を旧東独といった、かつての共産圏で過ごしただけのみならず、国家を代表する芸術家であったから故か、やり取りが実に重々しくて、ひどく真面目で慎重でもある。それに、旧西側の芸術家と違って、ドイツ語のみの会話(少なくともここでは)というのが、強く印象に残る。大袈裟に書けば、一挙手一投足が国家・体制と繋がっている…臭いを僕は感じた。そう、だから、レフ・オボーリンの直系の…モスクワ音楽院のあの…ピアノ音楽を聴かせる希少な存在が、レーゼルさんともいえる。

それにしてもスヴャトスラフ・リヒテルの名前に、僕はまず驚いた。レーゼルさんの右手が奏でるピリッとした響きからはギレリスを髣髴とさせるのだし、空いた左手を上下させ自らの音楽を指揮する様子は、控え目なグレン・グールドを連想させるにも関わらず。もちろん、リヒテルの次、その次には、ギレリスやグールドの名前を挙げたかもしれない。だけれど、真っ先に名を出したのはリヒテル。

リヒテルという音楽家を、ひとことで言い尽くすことは到底できないけれど、ひとつだけ書くならば、教育者としての顔を持たなかったピアニストだったと僕は思う。それは、リヒテル自身が、独学を通して大ピアニストになったという経緯があるのかもしれない…が、リヒテルはこんなことを書き残している。

例によって、この種の演奏会というものは長く記憶に刻みつけられるものではない…。あまりに雑多な曲目と、いろいろな演奏者のせいで、記憶を結ぶ糸がなくなってしまって忘れてしまうのだ。

このロン=ティボー・コンクール受賞者記念演奏会の夕べも同様だった。疲れていたのかそれとも気が散っていたのか、ともかく何も覚えていない。もっと注意深く聴いていて、演奏会から個人的印象以上の何物かを引き出した聴衆がいてくれていればよいのだが。

時間が経てば、その彼らだってたぶん忘れてゆくだろう。忘却、それは、私たちの過去でないなら、私たちの未来である(引用ここまで)。

『リヒテル』(ブリューノ・モンサンジョン、中地義和・鈴木圭介訳 筑摩書房)から「音楽をめぐる手帳」より

若い演奏家たちが記憶に残らなかったのを演奏そのものにではなくて、自身の疲れによるものと…私的な文章なのに…気遣ってみせるところに、音楽家リヒテルの本物の良心と愛情を感じる。だが、「忘却、…私たちの未来である」ときっぱり書いているところに、どのような音楽活動を根ざそうとしていたのか、その覚悟が窺える。

つまり「他人を教えている暇などない。全ての時間を、自らの音楽の芸術に捧げる…。」のだ。

それは、第1回チャイコフスキー・コンクールの審査員だけは、しかたなく参加した…それは最初で最後…という有名なエピソードからもわかる。そういうリヒテルの音楽を、レーゼルさんは「糧にしていった」と話す。

優れた芸術家は、教育と訓練によってではなくて、自らの芸術を通して後継者を育てるという仕事もする。旧ソ連時代では、正確には「在留ドイツ人」扱いのリヒテルと、ドイツ人レーゼルさんは芸術上の師弟といえると思う。そして、芸術上の師弟…を代表する古典的例として、ベートーヴェンとシューベルト。

プログラム2番目に演奏されたピアノ・ソナタ4番変ホ長調作品7を聴いていると、シューベルトのピアノ・ソナタ21番変ロ長調D960がふと僕の耳に過ぎった。とりわけ第1楽章。左手で全体で貫く軽快な8分音符のリズム…「運命」動機の萌芽とも思える…が弾かれるけれど、「極めて強く(ff フォルテッシモ)」の表示が初めて出てくる辺り(79-80小節)と、シューベルトのソナタD960の第1楽章における「だんだん強く(クレッシェンド)」の後、こちらも最初に登場する「強く(f フォルテ)」の表示直前の箇所(35小節)がシンクロする。ダダダダダ…と。

こんなありふれたリズムと強弱は、他に多くの例を見出せるに決まっている。ただ、ベートーヴェンの第4ソナタでは、教会の鐘を思わすイメージが、音楽として高らかに明るく歌われる一方で、シューベルトのそれは、打ちひしがれて震えるような、低い音のトリルでもって「ブルブル」と鐘を打つ。まるで死を予感する者が聴く鐘の音。ベートーヴェンのは、輝ける未来と希望の鐘の音…と、レーゼルさんの弾く第4ソナタからベートーヴェンとシューベルトそれぞれの人生と、尊敬と、音楽が、交錯してゆくのを随所に感じ取った。

ややもすれば、「金細工のような技巧が散りばめれたソナタ」という演奏で終えることが多いソナタなのに!それから「ワルトシュタイン」並みの造形力を孕んだ作品であることをも、華奢な雰囲気から示す。レーゼルさん流の「節度」…作品力以上の何かを演奏力で引き出そうとする行為を拒絶する…演奏態度が、4番作品7のソナタから、これだけの啓発的コンセプトを、現代の聴き手に伝えることに寄与していると、僕は感じた。

だから、最初に弾かれたピアノ・ソナタ19番ト短調作品49‐1(「2つのやさしいソナタ」)からも、また特別の趣を僕に感じさせる。この簡単なソナタには、師ハイドンへの謝意がふんだんに盛り込まれている。ソナタ形式に則り、センス良く配置された装飾音の数がどれだけあるかで、作品としての良し悪しが問われる…それは、ベートーヴェンの欲求不満を高める不本意なことかもしれないが、しかし、ハイドンが主催する演奏会で、ベートーヴェンが自作の協奏曲を弾いて、ウィーンの音楽界で認められていく過程があったのだから、それは師への感謝と儀礼を込めた音楽手紙のような作品。僅かにほの暗い雰囲気の漂うところが、「ベートーヴェン的」といえばそう。もし、レーゼルさんが、そこに焦点を当てた演奏に徹すれば、単に「習作」を聴いたで終わったと思う。

ピアノ・ソナタ21番変イ長調作品26「葬送」では、作品に与えた形式美と逸脱の紙一重さ…それはベートーヴェンの大胆な発想と挑戦がある…を端的に聴き手に見せる。ピアノソナタ14番嬰ハ短調作品27-2「月光」が、プログラムの最後に弾かれたけれど、僕は、レーゼルさんに、更にもうひとつの世界があると感じた。4つのソナタを、こうやって並べて聴けば、4楽章からなるひとつの巨大な作品…まるで交響曲…を聴くような充実した気分を聴き手に与える…それを構築できる音楽家であることを。しかも、リヒテルとはまた違った世界で。

これらのひとつひとつを見事といわずして、何と表現しようか?

いたずらっ子が、影から不意に出てきて「わっ」と驚かすような笑みを浮かべながら、ピアノの鍵盤に飛びついて弾き始めた「バガテル」作品126-6が、1曲のみのアンコールとして弾かれた。

(「ベートーヴェンの真影」(第4回)紀尾井ホール2009.10.8)

ドイツ語通訳のMさんに感謝。


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コメント 6

aranjues

ペーター・レーゼル、、知りませんでした。
機会があれば是非にも聴きたいと思います。
by aranjues (2009-10-11 21:02) 

アマデウス

いつもながらの流麗な素晴らしい解説とご紹介に引き込まれ、レーゼルさんの演奏を聴かせて頂いた様な気持ちになりました。ありがとうございます!
東京のあとはザルツブルグでの演奏会なのですね。当然モーツアルトのピアノ協奏曲を弾かれるものと思いますが、是非聴かせて頂きたいものです。
素晴らしい解説とご案内にコメントすること自体憚られますが、少なくともモーツアルトに関して言えばグレン・グールドの解釈と表現はまずレーゼルさんには受け入れ難いのではなかろうかと感じます。
ご紹介頂いたレーゼルさんのHPのレパートリー内容をあわせ拝見し、レーゼルさんの性格は「真摯」であると同時にとても「無邪気」な一面のある人間的にも素晴らしい音楽家であるという印象を受けました。
多謝!

by アマデウス (2009-10-12 06:14) 

江州石亭

「リヒテル」の生演奏30回という贅沢さにこのピアニストを羨んでしまいました^^
チケット買ってキャンセルになって、とうとう生で聞く機会をなくした者にとっては・・・
「リヒテル」に関わる書籍も手持ちにあるので、もう一度読み直してみようと思います。
by 江州石亭 (2009-10-12 10:36) 

ヒデキヨ

aranjuesさん コメントありがとうございます

機会ございましたら ぜひお聴きになってみてください
ベートーヴェンも そしてブラームスも大変素晴らしいピアニストです
by ヒデキヨ (2009-10-14 09:10) 

ヒデキヨ

アマデウスさん コメントありがとうございます

ステージでは 真摯(95%)無邪気(5%)くらいの割合のようでした^^
実際の生活上のレーゼルさんは どうなのでしょう…でも
あまり変わらないかもしれませんね

そうです きっとモーツァルトも素晴らしいでしょう
旧モスクワ派は グールドの…特にバッハから大きな洗礼を受けたと思います
モーツァルトは「えっ弾いていたのか?」という感覚かもしれません

by ヒデキヨ (2009-10-14 09:17) 

ヒデキヨ

江州石亭さん コメントありがとうございます

リヒテル…は 結局は僕も録音を通してでのみ知る音楽家です
恐らくモスクワ留学時代で 30回ほど聴かれたと思いますから
そのときの「バリバリ」リヒテルの影響をモロに受けているだろうと思いきや
実は そのときから リヒテルは晩年に見られた「節度」と「内省」の萌芽が
あるようなのです

そこを嗅ぎ取って レーゼルさんが「糧」にしていたとしたら…
これこそ本物の芸術上の弟子だと思えてなりません
by ヒデキヨ (2009-10-14 09:22) 

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