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日本音楽芸術マネジメント学会 [日々の記録]

昭和音楽大学.jpg

昨日(7.11)は日本音楽芸術マネジメント学会へ。会場は昭和音楽大学の南校舎。

登壇者は、片山杜秀さん(音楽評論家・慶応義塾大学)、瀬崎記者(日本経済新聞)、松本記者(読売新聞)、

吉田記者(朝日新聞)。実践講座で森岡めぐみさん(いずみホール)が、懐かしの街からご来訪。

音楽を報道する.jpg

中身にご興味あらば、音楽ジャーナリスト・渡辺和さんが楽しく書かれる⇒「やくぺん先生うわの空」へ

僕には、日本のクラシック音楽の聴き手が「二極化」(猛烈なファンと今なら辻井君を聴きたいと願う人々)する中で、

新聞報道(テレビじゃない)のあり方は何? と答えは出ないが、報道の中身や背景を確かめ合えたのが収穫。

♪♪♪♪♪♪♪

クラシック音楽をみなさんに。Classical Music Cafeへようこそ!

ところで、みなさんはクラシック音楽を聴かれますか?

最近僕が感じること。

まず 己の耳が両方あって 右も左も聴こえることに感謝をし

いや 自分の足で会場に行けることに感謝をし

いや コンサートが開催される世の中に感謝をし

いや 楽器を弾いてくれる人がいることに感謝をし

いや 作曲家が作品を残してくれたことに感謝をし

いや 楽器製作者が楽器を作ってくれたことに感謝をし

そして 演奏家が感謝をしながら弾くことを「目」にすれば

「上手い」だの「下手だの」

あるいは

「間違った」だの「正しい」だのといった…

巧拙を中心に拘泥した聴き方はもうやめようと、僕は最近感じるのです(つまりまだ僕もできていない)。

だって、下手上手いがわからねば来るなという雰囲気漂うコンサートって、近寄りやすいですか?

古いところではブーニン。ちょっと前ではフジコさん。最近では辻井君という「存在」がほぼ10年おきに出現する。

まるで(日本の)クラシック音楽界の「鬼っ子」のように。そして「否定派」がいつものように出てきて…。

昨日の学会で感じたのは僕の仕事との関連性。

巧拙にこだわった聴き方を助長させた背景のひとつに、CDなどの媒体の存在を指摘すべきだと僕は感じた。

それは、ヴァーチャルな「聞き比べ」を手軽にさせたと思う。

そして、クラシック音楽の楽しみ方は「聞き比べ」というある種の誤解も生ませた。

だから、「CD=実存ではない」ということと、絶対機軸ではないことをもっと本気で伝えねばならぬ。批評も聴き手も。

もちろん、生だから「良くて」CDだから「悪い」という考えではなしに。そして…

聴き手の「耳」も演奏家と同様一様に等しくないことも、聴き手同士が知る必要がある。それから…

音楽を「聴く」「感じる」ではなくて、「判断」といったカテゴリに属する感覚。

それは音楽を「作業」として見なせば一部必要な感覚だが、芸術からは最も程遠いことと僕は感じる。

感謝もない、祈りもない、幸せにならぬ、問いかけもない音楽や演奏に落胆や憤慨したかつての僕も、

今では、少なくともその音楽や演奏に「意味を感じる」ようにしている。

今日は小難しい話しで失礼。


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コメント 24

mari-go

んnnnn....
好きな曲、好きな人♡
その日によって変わったり
ずーっと好きだったりするけど
ひょうろん!?tってのはちょっと苦手^^;
by mari-go (2009-07-13 01:23) 

luces

中学生の吹奏楽もプロのコンサートもどちらも楽しめますよね。

by luces (2009-07-13 13:05) 

長森建設

lucesさんに同感です。
by 長森建設 (2009-07-13 15:55) 

ひとみ

ヒデキヨさん、こんばんは。

音楽の楽しみ方は人それぞれ、その人なりの
判断基準で品定め・・・なんてことがあっても良い
ような気がします。対象が音楽であれ、絵画で
あれ何であれ、そういう納得の仕方をしたい
人は必ずいて、でも、素晴らしい作品は懐深く、
批判も飲み込んで、マジョリティの普通の人々に
素直に愛されて生き続ける・・・。

今日発売のアエラ、表紙のフジコさん素敵です。
10年遅れてやってきたファンですが、出会えて
よかった!きっかけをありがとうございました。

by ひとみ (2009-07-14 00:00) 

ピアノフォルテ

興味ある問題です。
そしてこんな学会があるんですか!

音楽を聴いて、スキだなあとかいいなあ~とか言う気持ちは相当に個人的なものであると最近すごく思います。
嗜好品に似ていて、ビールがすきという人もいればワインが好きという人もいて。
バレエでもピアノでも、その人がいかにその芸術を愛していて、それを真摯に表現しているかがひしひしと伝わってくるとき一番すがすがしさを覚えます。
プロでもアマチュアでも同じように感じられます。

CDやDVDも聴き比べができるし、いつでも聴けるからなくてはならないものですが、
ライブの空気、一期一会の魅力が舞台芸術の醍醐味かなあ。

とりとめがなくてごめんなさい!

by ピアノフォルテ (2009-07-14 00:01) 

ぎーこ

どのお客様にも演奏会を楽しんで頂くのって難しいと思います。
でも一人でも多くのお客様に楽しんで頂ける、
そんな企画、プログラムを考えたいといつも思っています。
私は演奏家なので仕事内容の企画にはあまり口を挟みませんが。
by ぎーこ (2009-07-14 06:59) 

ダー

確かに私には難しい話でした・・・σ(^_^;)アセアセ...

by ダー (2009-07-14 09:25) 

pika

あら…
私のコメント、飛んだのかな?
中身がまずかったかしら(笑)

ヒデキヨさんの仰ること、分かります^^
理屈でなく、最近は心で聴きたい、楽しみたいと思うようになりました♪
でも私は理屈は何も分からないのですが(^_^.)
by pika (2009-07-14 17:40) 

ヒデキヨ

こんばんは mari-goさん 

コメントありがとうございます

そう!「好き」もしくは「嫌い」というのは良いのです
むしろあって自然だと

ただあたかも「客観的」に否定するのは
本当につまらないと僕は感じるのです
by ヒデキヨ (2009-07-14 22:05) 

ヒデキヨ

こんばんは lucesさん コメントありがとうございます

>中学生もプロの演奏もどちらも楽しめる・・・

なるほど 聴き手の心のありよう次第ですよね

モノのとして捉えて「採点して聞く」と 
そうもいかないのかな?
by ヒデキヨ (2009-07-14 22:19) 

ヒデキヨ

こんばんは 長森建設さん コメントありがとうございます

すみません
今日はこんな書き様で…
by ヒデキヨ (2009-07-14 22:21) 

ヒデキヨ

こんばんは ひとみさん コメントありがとうございます

楽しみ方は本当に人それぞれで自由であっていいと思うのです
むしろ「好き」「嫌い」は言うべきです それは個人の感覚だから
大切ですよね

でも「正しい」「間違い」を 一見普遍性を帯びて指摘するのは
これは楽しみ方としては…どうかな? と僕は思います

などと書きつつ
僕も以前そういう聴き方をしてきた人なんですが 汗
by ヒデキヨ (2009-07-14 22:41) 

ヒデキヨ

こんばんは ピアノフォルテさん コメントありがとうございます

>音楽を聴いて、スキだなあとかいいなあ~とか言う気持ちは相当に個人的なも>のであると最近すごく思います。

本当にその通りです
好き 嫌いは個人の感覚なので良いのです
そう表明するのは 清々しい場合もあると僕は思います

人間は音楽を「聴く装置」には なれないです

真摯な取り組みやその人の背負うものが舞台に出てくる
それを「感じ取る」のも聴き手次第だとも感じます
by ヒデキヨ (2009-07-14 22:50) 

ヒデキヨ

こんばんは ぎーこさん コメントありがとうございます

>どのお客様にも演奏会を楽しんで頂くのって難しいと思います。

そうですよね 「好き」「嫌い」はあっても良いです
「楽しい」「楽しくない」も同じ感覚だと思います
それは個人によることだと…

ところが 巧拙に拘泥すれば「ある程度」までは客観できる故に
個人の感覚を超えて「否定」「肯定」することも可能と思います

この烙印を押す習慣を もうそろそろやめたいな
by ヒデキヨ (2009-07-14 23:03) 

ヒデキヨ

こんばんは pikaさん コメントありがとうございます

僕は とにかく 今触れている音楽や音楽家に
なぜ出会ったのか? そういった意味を感じ取りたいのです
その上で 好きか嫌いかははっきりしたら良い と思うのです

もちろん 村松さんは僕は大好きですよ
by ヒデキヨ (2009-07-14 23:15) 

ヒデキヨ

こんばんは ダーさん コメントありがとうござました!

>確かに私には難しい話でした・・・σ(^_^;)アセアセ...

ムフフ

この音楽の世界が いかに閉鎖的かを端的に表した
コメントですね

nice10個進呈!
by ヒデキヨ (2009-07-15 00:33) 

父ちゃん

訪問&niceなどありがとうございました(*^_^*)
ホントになんつう暑さだよ!!
と思う日が続いてますが・・・
今日も、笑顔で元気に頑張って生きましょう(^_^)v
by 父ちゃん (2009-07-16 05:41) 

りゅう

古くからの熱狂的なファンの人たちが、のだめや辻井さんでクラシック音楽に興味をもった人たちを見下したり馬鹿にしたりするという構図はどうにかして欲しい思います。
新聞記事等でも感じることですが、一部の人の特別な楽しみであるかのような扱いが、一層敷居の高いもののような印象を与えてしまっていますよね。
私は猛烈なファンでもなければはやりものに飛びつくわけでもないのですが、
もっといろいろな楽しみ方があっても良いのではないかと思います。
眉間にシワを寄せて構えて聴くより、肩の力を抜いて気軽に聴いた方が楽しいですし。(絵画もそうなんですけどね。(^_^;))
by りゅう (2009-07-17 00:28) 

laroque

>上手い下手などの巧拙を中心に拘泥した聴き方はもうやめようと、僕は 最近感じるのです。

hidekiyoさんのような方に言っていただいて良かった!
というのも、私もクラシックが大好きだけど、それ↑がわからないがために肩身狭い思いをしていました。

勿論、聞き比べも面白いですけど、「上手い下手」を判断する為の聞き比べって絶対面白くないです(少なくとも私は)。

マスコミに載る音楽を否定するわけではないけど、とても良い音楽でも”ストーリー性”がなければなかなかオモテに出て行くことが出来ない日本。

でもでも、何かをきっかけに、少しでも良い音楽を聴きたい!っていう人が沢山出てくる(潜在的には沢山居る)のは素晴らしいな、と思います。
by laroque (2009-07-17 01:04) 

ヒデキヨ

こんばんは 父ちゃんさん

コメントありがとうございます

ダーさんと同じように 素敵なコメントでした 感謝^^
そう 元気で笑顔でいきます
by ヒデキヨ (2009-07-17 19:13) 

ヒデキヨ

こんばんは りゅうさん

もちろん 古くからの熱心なファンの全員が 決してそうではないことを
りゅうさんはご存知の上での 素敵なコメントありがとうございます

いかなる演奏・音楽においても肩の力を抜いて気軽に楽しむ…
それがいつもできたら ひょっとして「一流」?の聴き手かもしれません^^

最近 感じるのは その「楽しむ」感覚を 本能的に備えている人って
実は 辻井君やフジコさんを聴きに集まる方々じゃないかな? とも

それは最初に「好き」という感情で 集まっているからで
「判断」「分かる」「比べる」で集まっていないからだ とも感じます

「判断」「分かる」「比べる」の要素の強いコンサートの これまた
もちろん全てではないけれど 興行としてみたら
演奏家には気の毒なことも多い そんな経験もあるかと思います

「鬼っ子」たちの出現に 熱心な聴き手たち(僕も含めて)は
試されている…そんな気がしてなりません

明治時代の啓蒙主義的聴き方から変わっていないのでは? と
この学会で発言があったのですが 
僕個人は そういった「的聴き方」と並行して「ライフスタイル」の一部
として取り入れる…そんな転換期なのでは? と考えています
by ヒデキヨ (2009-07-17 19:52) 

ヒデキヨ

おはようございます laroqueさん

フランスからコメントありがとうございます

>私もクラシックが大好きだけど、それ↑がわからないがために肩身狭い思いをし>ていました。

そうなんですね
かつての僕も 上手くいっていない著名なアメリカ人演奏家のCDを
「失敗だ」などと 書いたこともあったり(15年前の話です) 汗
ある著名ヴァイオリニストの演奏会で ごくごく僅かに音程を外すたびに
首をかしげたりした 聴き手のひとりでありました 汗

今 このコメントを書きながら シューマンのチェロ協奏曲を聴いています
(クリストフ・コワン+フィリップ・ヘレヴェッヘ=HMA1951731)

素敵な演奏です でも「問題」も抱えている
それは ちょっとでも訓練を受けた者なら すぐにわかることですが
…ということは 演奏している人たちは とっくに気づいている

それでもCDとして世に存在している

もしかすると CDというモノですら このフランスの弾き手たちは
「モノ」として捉えていないかも と考えるのです
(経費的なことはさておき)

既存の名盤と比較されるために 送り出すのではなくて
「我々弾き手という絶対的人格を 収録したに過ぎない」という表明にも
「問題」の向こうから僕は感じるのです

だから 実際はどうなのだろう? と
僕も想像しながら聴き 実演があれば足も運びたくもなるし
そもそも聴く体験ができることにも 僕は感謝したいです^^
by ヒデキヨ (2009-07-17 22:03) 

しるくら

音楽においても日常においても
批評するのは簡単。
相手への敬意と思いやりを持っての苦言は『勇気』ですから、これは感謝を持って受け入れたいものですが、自己肯定のために人を批判する場合、
何処にも『愛』のない あら探しは、してほしくないです。
音楽家のためは勿論のこと、
批評家自身のためにも。

クラシック音楽という深~~~い森の中へ足を踏み入れたばかりの初心者にとって、批評家や古くからのファンの意見は、道標・参考になってとても便利でありがたいものですが、その意見の中から自分にフィットするものを取捨選択するのはなかなか難しいですね。
もっとシンプルに、ピュアな楽しみ方が広まってくれればいいなぁ、と思っています。
by しるくら (2009-07-18 10:36) 

ヒデキヨ

おはようございます しるくらさん

ご意見ご尤もです
とどのつまり 芸術ですから「好き」「嫌い」はありますね
でもそれは主観です 主観は表明したら良い

僕が非常に危惧しているのは

影響力のある批評家や聴き手が
「客観性を装って」時に刃物のような鋭い言葉で愚弄・否定するとき です

これでは 聴き手は萎えてしまうのです

もしかすると 大きくは聴き手を失うことに働きかけない

「僕は、ヴィスペルウェイの思い切りの良い表現は好きだけど
音が余り好きになれないな」と主観で書くと

それは人それぞれね となるのですが

「ヴィスペルウェイに比べてノラスの芸は古臭い 音は甘ったるくて音程も不安定だ」などと書けば…

いかがですか?
※実際にはノラスもヴィスペルウェイも僕は大好きな人です

聴き手を失うことは…音楽家にとって
いや音楽の世界にとって致命的なことなのです
by ヒデキヨ (2009-07-23 10:59) 

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