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「ベートーヴェンは凄い!」は凄い! [日々の記録]

これは凄い! 現在配信中! 画質も音も良い。

http://a4a.wide.ad.jp/jp/internet.html ←簡単に観れます!

16:25現在、ホールの(2300人)観客に加えて2700人の人が視聴中。夜になれば海外の人たちも視聴するはず。

都合1万人くらいの人が観るのかな80歳のマゼールさんが来日して振るのはそこにも大きな意味がある。

これは掃除をしている場合じゃない気が。汗

「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2010」

(指揮:ロリン・マゼール)
慶應義塾大学が3D・高品質の映像・音声で、大晦日に全世界にインターネット配信


 慶應義塾大学は、学部研究科横断型研究・教育プログラムの一環として「ベートーヴェン・インターネット配信実行委員会(委員長:環境情報学部長・教授 村井 純)」を設置し、2010 年12 月31 日に東京文化会館大ホールにて開催される「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2010」(指揮:ロリン・マゼール)を、3D・高品質の映像・音声で、全世界に向けてインターネット配信いたします。配信されるコンサート映像は、インターネット基盤を用いアジア諸国の高等教育に貢献することを目的に各パートナー大学に対しリアルタイムの授業配信や講義の共有等を行っている「SOI(School on Internet)Asia プロジェクト」のネットワークでアジア14 カ国の大学に届けられ、子供たちが音楽を楽しむための教育プログラムを実施するほか、最先端技術を駆使し学術ネットワークとも協力しながら、様々な形式・手法で世界の国や地域に届けられます。
また、当日は、世界中でコンサートを共に鑑賞できる環境の体験により、芸術と教育の新たな形を考えるための体感実験・討論会を慶應義塾大学日吉キャンパスにて行います(参加者:慶應義塾関係者ほか)。ご取材・ご掲載のほどよろしくお願い申しあげます。


1.配信するコンサートについて

公演名:「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会2010」
日時:2010 年12 月31 日 13 時~23 時35 分(トーク・休憩などを含む、演奏は約6 時間)
場所:東京文化会館・大ホール(東京・上野)
主催:株式会社メイ・コーポレーション
曲目:ベートーヴェン全交響曲 指揮:ロリン・マゼール
概要:本コンサートは三枝成彰氏の発案により開始され、岩城宏之氏や小林研一郎氏などの指揮によって継承されてきました。今回はその8 回目となるものです。指揮を務める世界的巨匠ロリン・マゼール氏は2010 年に80歳を迎え、世界各地で記念公演が行われましたが、本公演はそれらを締めくくる一大イベントです。また、ベートーヴェンの全交響曲を一つのオーケストラで一日に全曲を指揮するのはマゼール氏にとっても初めてのことと
なります。管弦楽は岩城宏之メモリアル・オーケストラ、コンサートマスターは篠崎史紀氏(NHK 交響楽団第1 コンサートマスター)です。


2.インターネット配信について

 マゼール氏は、この渾身の芸術を世界中の方に届けることを熱望していました。その要求に応えて、慶應義塾大学では、全曲をリアルタイムに、3D、高品質映像、高品質音声で、一般インターネット、学術ネットワーク、アジア広域衛星インターネットなど様々なインターネット技術を利用して、PC、3Dディスプレイ、モバイル環境など多様なデバイスで視聴可能な形での実験配信を行います。詳細は以下のURLより随時アップデートします。
URL:http://a4a.wide.ad.jp/
*配信される映像及び音声の録画・録音は許可されていません。以下略。

引用元:http://www.accelia.net/news/archives/000080.html

**

「つぶやき」も中々面白い。よく考えたら絶対に静かにしてなきゃいけないリアル会場ではできないこと。

プロ野球中継的な感じかな。日本の音楽マーケットは本当に面白いな。独特な成熟市場。 

昨日書いた「カップ麺を年越し蕎麦代わりに~」を教えてくれたヴァイオリニスト女史、良い感じで演奏されています。

それでは、今年は大変お世話になりました。皆さん良いお年をお迎えください。


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日本レコード大賞 [日々の記録]

ぼちぼち輝くレコ鯛でもチェックしますか~と思ってTVをonしたら、まあ予想とおりというか、

EXILEが3連覇を達成(個人的にはいきものがかりを応援していたのだが…)。

で、ぼんやり制作スタッフなんかのテロップを眺めていると「チェロ:丸山泰雄」を見つけた。

えっ!?

丸山泰雄氏といえば日本音コンの覇者。確かな経歴をお持ちの方(僕は面識ありません)。

こんなとき、毎日放送(MBS)田丸一男アナの個人ブログの「チェリスト列伝」は参考になるので、

丸山氏のプロフをリンクしようと思って田丸アナのブログを久しぶりに観てみたら…

あらら、なぜかなくなっている。記事の一切が。。

というわけで、丸山氏のプロフをロンド・ミュージックさんのHPから一部引用。

87年東京芸術大学音楽学部卒業。89年第58回日本音楽コンクール第1位、増沢賞・特別賞を受賞。イタリア パオロ・ボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクール第3位、特別賞受賞。ドイツ マルクノイキルヒェン国際チェロコンクール特別賞。92年「東京国際音楽コンクール」第2位及びアサヒ・ビール賞を受賞。第2回日本室内楽コンクール第1位及び特別賞受賞。92年9月より文化庁海外研修員としてベルリン芸術大学に留学、ディプロマを最高位で取得…(略)。

引用元はこちら:http://www.rondomusic.co.jp/profile.html

個人的には、音楽産業界の祭典なので優秀な音楽家・演奏家はどんどん出るべし、と思います。

それにしても興味深い。

オーチャードホールで大晦日~元旦を仕事で年越すオケマンもいれば、

先日お会いした在京プロオケ・ヴァイオリニストさんは「昨日で仕事納めでした」というし、

ベートーヴェンの交響曲連続(!)演奏では、カップ麺を年越し蕎麦代わりに食べて踏ん張るソリストさんもいるし。

さあ、僕も掃除頑張ろう(笑)。

年賀状…うわっ。


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得難い経験④ [日々の記録]

前回記事の、「大昔の僕は、決して音楽を聴いていなかったのかな…と感じています。では、何を聴いていたのか?「演奏」を聴いていたのです。決して「音楽そのもの」をきいていなかった。書く間でもなく演奏は音楽の「一部」ですよ。では、演奏とは何か?音楽とは何か?更に続きます。」…をやっと更新。

昨日坂本龍一教授がNHKでやっていた「スコラ」は、なかなか良かったな。

あそこには、あの時間には「音楽」が一杯詰まっていた。

坂本教授が放った発言にドキリとさせられたな。僕は強く共感した。

「僕たちが音楽を聞いてるんじゃなくて、音楽が僕たちを見てる。」

サスガだなこの感覚。良い仕事をしてきた大人の思考ではないかな?

たいていの「クラシック音楽好き」は、音楽そのものではなくて「演奏」についてのみ語ることが多いと思う。 

そして、たいていの「音楽家」も、音楽そのものではなくて…。

坂本教授の発想は今を含めたこれからの時代を言い当てている。

http://togetter.com/li/62394

「得難い経験」は④にて一旦完了とします。それとブログ引越しようかなって考えています。


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得難い経験③ [日々の記録]

前回の「では、何を聴いているのか?」から、随分時間が経ってしまいましたネ。その間、台風が過ぎ去って、

異常で執拗な猛暑が、少しだけ和らぎましたが…。

さあてと、どうやって書くべきか…少し考えていていましてね。僕の考えている「結論」のひとつは、

「現時点」という条件付きですが「あります」。端的に。でも、何というか…傷つけたくはないな…という思考が、

つい働いてしまう。

クラシック音楽のマーケットは、ごく一部のハイパーブランドを除いて実態勢力の弱い小さなものだからです。

その「市場」(と表現して良いかときに躊躇する)に対して、自分サイズで寄与(チケットやCDを買う)していて、

そして自分スタイルで楽しんでいる個々の聴き手に、ああだこうだと言ってもねぇ…ということを避けることを、

僕は、本能的、慣習的、職業的に身につけてしまいました。まあ仕方がない。

話を少し変えて、53年前に、吉田秀和さんが書いた文章。僕は妙に共感を覚えます。

「…しかし、本当は、もし提出された演奏なり作品なりに、何かの欠陥があったら、批評家は、そこで悩むのが

―作品なり演奏なりとともに、傷つくのが、あたり前…

これは、氏の『全集9』から「批評の精神」より引用したのだけれど、驚くばかりの「見抜き方」であり、感覚の強さ、

嗅覚の正しさ、芸術への接し方の見事さ…。

大昔僕は、コンサート中に他人が立てるちょっとしたモノ音に過敏になったり、「音」を凄く集中して聴く人でしてね…

一定の条件・スタイルで聴かぬ人を「批判」する人だったけれど・・同時に自分も傷ついていたのかもしれません。

なぜなら、音楽(=作品)や演奏は、聴く人が「そこにいて」初めて成立する芸術ですから。

バーンスタインとグールドの、ブラームスのピアノ協奏曲のライヴ録音がありますでしょう?

ピアノソロ開始付近で咳をする聴き手がいてね、うるさい…と、昔は真面目に思ったけれど、ここ数年で感じるのは、

咳をする人は、音楽によって心身が締め付けられていてね…、極度の緊張状態に陥っている人かな…ってネ。

もちろん純粋に風邪のときもあるでしょうけれど。ほんの参考までに貼り付けた音源だと4分35秒付近辺りから。

大昔の僕は、決して音楽を聴いていなかったのかな…と感じています。

では、何を聴いていたのか?「演奏」を聴いていたのです。決して「音楽そのもの」をきいていなかった。

書くまでもなく演奏は音楽の「一部」ですよ。

では、演奏とは何か? 音楽とは何か?

更に続きます。


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得難い経験② [日々の記録]

もうひとつわかったのは、

「音楽」に対して、ご意見、ご批評などの何か「コメント」をする場合やされる場合、 

その言葉放った人と音楽との関わり方が、完全に透けて見えること。

人格や価値観まで、といっては大げさだけど、わかってしまうようになった。やっと。。

音楽を職業としている人(町の先生、プロ、プロフェッサー他)の場合は特に顕著で、

一見、他者に対して評価をしているようであっても、実は彼ら彼女らの音楽に対する

「拠り所」を表明していることがほとんどで、ときどき「ハッ」とさせられるような流石な

見識もあれば、「ああやはりネェ」と失望することもあるけれど、とどのつまり・・・、

「私の音楽観はこの程度なんですよ」と、言っているようなもの…という気がします。 

いわゆる大変な音楽好きの場合でも、似たような状況があるのですが(僕も含め)。

では、何を聴いているのか?

明日以降に書いてみます。


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得難い経験① [日々の記録]

20100815.jpg

有難いことに、とてもとても多くのことに携わっています。

日頃の生活の中でブログを書くペースがなかなかつかめず、放置して約2ヶ月。。。

終戦記念日の今日からでも、少しずつ、ブログの本来の主旨に沿って書いてみます。

ところで、この2ヶ月間、得難い経験を通してわかったことが、ふたつあります。

ひとつは、コンサート会場で「音楽そのものを聴いている人(聴けている人)」は、

僕の感じるところ、会場に集まる人たちの20%もいないのではないか? ということ。

*20%という数値(あくまで感覚数値だが)を、ネガティヴに捉えないでください。

まあ、そもそも僕自身、音楽そのものを聴いている人(聴けている人)であるとは、

限りませんが。

ただ、わかってきたことがあるのです。それがふたつめです。

それは、明日以降書いてみます。


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無我夢中 [日々の記録]

全く更新できず…

ここのところ、有難いことにものすごく忙しくさせて頂いております。

正直キャパオーバー気味なのです…が、超絶技巧的動きと心で(コンジョーと精神)乗り越えようっと。

行ったコンサートの数々…いやはや…「感じたこと」は下書き記事で全て止まっており…拙文公開に至らず。

もう、そんな記事が数十本とある。いやいや、「いやはや」という言葉を、ブログで初めて登場させたような気が…汗

操作が、少々重めのブログから「つぶやき」に変えますか…笑

さてさて、 

近感じるのは、この世は現実であると同時に、夢なのかな? と。

本当に、夢から目が覚めるときは、実は、死を迎えたときかも…と。

無我夢中。

「無我」は、仏教用語で、「我」に対する否定を表し、「我が無い」と「我ではない」(非我)との両方の解釈がなされる。 

Wikipediaから

となると、まだまだ、僕は、無我には至っていませんな。

【緊急告知】

2010.6.30(水)19時 かつしかシンフォニーヒルズ・アイリスホールで、

尺八の中村仁樹さん、琵琶の塩高和之さん、ピアノの菊池智恵子さんによるユニットで、コンサートをします。

入場料は2000円。

和楽器の繊細な音色の変化を楽しんで頂きたく、今回もマイク(PA)を使わずにすべて「生音」での演奏となります。

ショパンから『祇園精舎』まで、たっぷり、じっくり、和と洋の行き交う世界をお楽しみください!

300名収容の音楽専門ホールにどのように響くのか…僕も正直楽しみです。

☆お申込みは響和堂さんへ☆

専用電話:080-4200-0808 FAX:03-3610-5700 e-mail:ticket@kyowado.jp


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【御礼】「21世紀のスタンダード」は、この日から始まりました [日々の記録]

菊池さん、中村さん、塩高さん.jpg

洋楽器の王様ピアノを弾く菊池智恵子さん。和楽器の王様樂琵琶を弾く塩高和之さん。
尺八の「王子様」中村仁樹さん。尚、この楽器編成は滅多にないもので、貴重な写真なはずです。

公に宣伝した期間は僅か約20日間。それにも関わらず、しかも年末でお忙しい中、とても熱心な
聴き手の方々に多数お集まりくださり、心から感謝申し上げます。有難うございました。

「21世紀のスタンダード」は、この日から始まりました。

善福寺手帳さんのブログにご感想がございました。本当に有難うございました。
それからmixiにもご感想をお書きの、ひとみさん他の方々。本当に有難うございました。

♪♪♪

Classical Music Cafeへようこそ!

課題は(音楽的なことに絞ったとしても)多々出てきましたが、嬉しいのは、演奏されたお三方
とも自分に対して厳しい批評眼を持ち、それでいて「良いところを」エネルギーにしながら、次
への課題を的確に把握してくださっていることです。他者に対して、そして、自己批判も厳しい
塩高さんがブログに書かれていらっしゃいますが、このスタイル(洋楽器の王様+和楽器の王様
+尺八の王子様)で、曲が必要だと本気で感じてくださっていることです。その点は、中村仁樹
さんも全く同じに感じてくださっています。お二人とも作曲家ですから。

聴き手の多くは、超一流の音楽家や芸術家に触れる度に気づくはずです。

どのアーティストにも、この人にしか
できぬ「核」があるということに。その「核」に感動する
ことに。「核」から外れたことは「遊び」にしか過ぎませんね。勿論「遊び」は大切ですが…。

中村仁樹さん作曲の「尺八と薩摩琵琶とピアノのための<たいまつ>」。塩高和之さん作曲「まろ
ばし~尺八と琵琶のための」に接して、驚かれた方も多数いらっしゃったのでは?と思います。
僕は、そこに彼らの「核」の部分があると信じています。それに…、

これらの楽器のことに精通し、且つ作曲をするお二人を、僕は、過去の「西洋のクラシック音楽」
の作曲家…、例えば、ルイージ・ボッケリーニに近い存在だな…とも感じます。ボッケリーニの
業績のひとつは、通奏低音の役割に過ぎなかった当時のチェロを、即興性や豊かなメロディーを
持つ作品を、自ら創作して演奏して、当時において広め、そして後世に残した
ことですからね。

話を戻して、ピアノの菊池智恵子さんが「再現」と「即興」を柔軟にこなすことも重要な役割を
担っています。創造行為は、実は「即興」と「再現」の間にある行為なのですから。

ところで、なぜドビュッシーのチェロ・ソナタを、チェロの代わりに「尺八」で演奏するのか?
大急ぎで書いた当日の拙文プログラムにもありましたが、抜粋を引用(一部修正加筆)すると、

作品が本来持つ「精神世界」を、チェロで演奏する以上に、もし「それらしく」表現できるので
あれば、これこそ、この時代に生きる芸術家…弾き手…の仕事にもなり得ると思うのです。和楽
器による「それらしい」を、「ヨーロッパ」の人たちにも気づいてもらえたならば、クラシック
の演奏史において新たな歴史を刻むことになるでしょうし、和楽器の演奏家にとっても、楽器が
持つ「可能性」と「精神性」を「西洋」へ伝える…それも邦楽を使わずに…つまり「精神の逆輸
入」に携わるという新たな役割を担うことになるのです。

静かに静かに「21世紀のスタンダード」が、この日…2009年12月28日(月)…から始まりました。

お越しくださいました聴き手の方々、本当にありがとうございました。感謝申し上げます。

中村さん、塩高さん、菊池さん、有難うございます!
川口さん、石田さん、森野君…本当に感謝します。
響和堂の仲村さん、有難うございました。

次回は2月に開催致します。詳細決まり次第告知をさせて頂きますので、是非お誘いあわせの上、
ご来場くださいませ!!


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中村仁樹 尺八リサイタル2009.8.5 [日々の記録]

中村仁樹090805①.jpg

若手尺八奏者の中村仁樹さん。ご縁あって知り合った中村さんを、たくさんの方々により知って頂くために、

これまたご縁あって知り合った荻窪の個人ホールで、中村さんのリサイタルを企画しました(もちろん手弁当)。

アーティスト、レコードメーカー、音楽ジャーナリスト…といった方々がこの日のお客様の中心でした。

皆様ご来場くださいましてありがとうございました。心から感謝申し上げます。次回は10月に開催予定です。

中村仁樹090805②.jpg

中村さんの演奏に先立って、当夜のリサイタルの主旨を次のように、僕からお客様にお話しさせて頂きました。

冒頭のご挨拶、中村さんとの出会いなど…詳細略。

「世の中不況といわれています。でも大きく見れば不況だろうと好況だろうと、音楽は営々脈々とずっとあったし、

これからもあり続ける。そして、不況だからこそ必要な音楽もあるはずです。(この後、現在の非常に厳しい状況に

ついて述べたのですが、伝わらないこともあるのでここでは略します)そして、中村仁樹さんのような演奏と作品で

心を打つ才能がいる。僕は、中村仁樹さんの音楽に触れて心を打たれて、「ああ、この人を応援しよう」と思った。

でも、彼はまだCD(インディーズではあります)がないんですね。では僕は何をやれるか? 見つけた才能を

いろんな人に知ってもらって、それは、競合しているところも全部垣根を取って、業界の人にお伝えする、

情報をシェアする、ことくらいしかないのかな? ということです。不況といわれているからこそ、見つけた才能を

シェアして育てていく。これがとても大切かな? と僕は思うんです。スターやヒットが出てくるまで待つのではなくて、

見つけてシェアして応援すること。これを、業界にいる人みんなでやっていくことが、必要だと感じています。

それからもうひとつ、中村仁樹さんは尺八、和楽器です。先日、三味線、ニ胡、琴、ピアノがコラボしたライヴに

行きました。とても、熱気のあった素敵なライヴでしたが、僕はとても面白い(再)発見をしたのです。

三味線とピアノ、ニ胡とピアノ。微妙に音程が合わないのです。それはそうです。ピアノは平均律。東洋の楽器は

本来は東洋の音律ですから。でも、合っていないのだけど、音程が良いとか悪いとか「良し悪し」ではなくて、

なぜか気にならないし、のんびりしていて心地良い。これが、ピアノとヴァイオリンだったら、そう!

音程が「正しい」とか「間違っている」という聴こえ方にどうしてもなってしまう。ところが、三味線、ニ胡、琴は、

音程や音律がゆるやかに聴こえるのです。逆に、きっちり完璧に平均律にしたピアノの響きの方が、定規みたいに

完璧すぎて多少窮屈というか、閉塞感があったように感じたんです。そこから僕が感じたのは…、

今の音楽シーンを作るJ-POPやロックポップスは、基本は平均律の音楽が発展して作られた音楽。ところが、

ヒットしてナンボのジャンルの音楽なのに、口ずさめるメロディーが少なくて「どれも同じように聴こえる音楽」と、

ときどきお感じになったことはありませんか(もちろん例外の作品、音楽はいっぱいありますヨ!)。

これは、平均律で作られた音楽のクリエイティヴな面での行き詰まりというか、定規で引いたような窮屈な音律が、

クリエイティヴな面での閉塞感・不自由さをもたらせているような…そんな感覚を僕は受けるのです。

同じメロディーをピアノで、そして尺八で聴いてみると…尺八はゆるやかで窮屈ではないんですね。

迫力もあって癒される場合もある。もしかすると、和楽器は、今のクリエイティヴな面でやや閉塞感のある

日本の音楽シーンに風穴を開けるというか、流れを変えるような可能性を持っているのではないか? と、

僕は思うんです。そういった意味でも、中村仁樹さんは、たくさんのポテンシャルと、大きな使命を与えられた

音楽家ではないか? と、僕は感じているし考えているのです。」

上手に言えたかどうかは別として、以上が僕がお伝えしたかったことでありました。

中村さんは120%の力を出されたと思う。懸命の取り組みから友人・知人が「自分が感じたこと」を教えてくれる。

そこから見えてくる次への希望や可能性。

10月にも開催する予定です。次はもう少し大きい場所も準備して。ご興味のある方はぜひご来場ください!

後日、案内を告知致します。

♪♪♪♪♪♪♪

クラシック音楽をみなさんに。Classical Music Cafeへようこそ!

「Classical Music Cafe」なのに、なぜ和楽器なのか?

「それは日本の古典(Classical)音楽だからだ」などという、つまらないことは書きません。

「…そういった『構造的な音楽』というか、西洋的合理主義の論理の徹底的追求のうえに築かれたような音楽を発表したばかりなのに、それにひきつづき発表されたものが、この『竹籟五章』だった。どうして、こういうことになったのか? 私は、その当時、すぐには理解できなかった。それまでのヨーロッパのものから日本の伝統楽器に変わったというだけでなく、ヴィヴラートと呼んでよいかどうか、微妙にゆれ動く音程のゆれ、この楽器特有のアタック(音の出しはじめ)の際の騒音的効果、それから音色の多彩な変化(略)…こういったものを、全面的かつ徹底的に駆使した諸井の作風には、何かまったく新しい世界にふれ、そこに自分の救済のすべてを賭けるとでもいった、異常な決意のうらづけがあった。そうして、さして広くない東京朝日講堂の一隅に坐って、名人の吹きならす尺八をきいていた私には、そこに何か並々ならぬことが起こっているという気配を感じただけで、あとはわからなかった。(略)…しかし、一般の聴衆の反応は、もっと暖かかったような気がする。(略)」(『吉田秀和全集』3(白水社)~「諸井誠の尺八の音楽」より)

これは1965年のできごと。

これに近い属性の感覚で、もっとポピュラリティな要素が自然に入った、ライフスタイルの一部にすんなり入ってくる…
正式和食器で食す洋食のような…そんな印象を中村仁樹さんの音楽は、僕に心を打たせながら与えてくれました。
だから、取り上げてみようと。

それから、今はとてもとても上手く書けないのですが、和(広く東洋を含む)の音律を自然に聴けてしまう自分の音感覚
に、今更ながら驚いているのだけれど、この「耳」を通すことによって、クラシック音楽の楽しみ方…非常に誤解を与え
やすい表現かもしれないが…「日本人ならではの聴き方」というものが、もしかしたらあるかも知れない、と感じたから。

音程が高いとか低いとかだけではなく、本来の和音に対してどの音がどれだけ高いか低いとかだけではなく、導音は
やや高めに取るとか取らないとかだけではなく…。

もしかすると、西洋音楽の内なる声が、「和の耳」を通して聴こえてくるかもしれない・・・そんな気がするのです。

今は上手く書けないのですが。

中村仁樹さん、ピアノの川口晴子さん、お手伝いくださった石田さん、大嶋さん、ありがとうございました。

*******

音楽ジャーナリストの林田直樹さんがご批評を書いてくださいました。ありがとうございました。こちらへ


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日本音楽芸術マネジメント学会 [日々の記録]

昭和音楽大学.jpg

昨日(7.11)は日本音楽芸術マネジメント学会へ。会場は昭和音楽大学の南校舎。

登壇者は、片山杜秀さん(音楽評論家・慶応義塾大学)、瀬崎記者(日本経済新聞)、松本記者(読売新聞)、

吉田記者(朝日新聞)。実践講座で森岡めぐみさん(いずみホール)が、懐かしの街からご来訪。

音楽を報道する.jpg

中身にご興味あらば、音楽ジャーナリスト・渡辺和さんが楽しく書かれる⇒「やくぺん先生うわの空」へ

僕には、日本のクラシック音楽の聴き手が「二極化」(猛烈なファンと今なら辻井君を聴きたいと願う人々)する中で、

新聞報道(テレビじゃない)のあり方は何? と答えは出ないが、報道の中身や背景を確かめ合えたのが収穫。

♪♪♪♪♪♪♪

クラシック音楽をみなさんに。Classical Music Cafeへようこそ!

ところで、みなさんはクラシック音楽を聴かれますか?

最近僕が感じること。

まず 己の耳が両方あって 右も左も聴こえることに感謝をし

いや 自分の足で会場に行けることに感謝をし

いや コンサートが開催される世の中に感謝をし

いや 楽器を弾いてくれる人がいることに感謝をし

いや 作曲家が作品を残してくれたことに感謝をし

いや 楽器製作者が楽器を作ってくれたことに感謝をし

そして 演奏家が感謝をしながら弾くことを「目」にすれば

「上手い」だの「下手だの」

あるいは

「間違った」だの「正しい」だのといった…

巧拙を中心に拘泥した聴き方はもうやめようと、僕は最近感じるのです(つまりまだ僕もできていない)。

だって、下手上手いがわからねば来るなという雰囲気漂うコンサートって、近寄りやすいですか?

古いところではブーニン。ちょっと前ではフジコさん。最近では辻井君という「存在」がほぼ10年おきに出現する。

まるで(日本の)クラシック音楽界の「鬼っ子」のように。そして「否定派」がいつものように出てきて…。

昨日の学会で感じたのは僕の仕事との関連性。

巧拙にこだわった聴き方を助長させた背景のひとつに、CDなどの媒体の存在を指摘すべきだと僕は感じた。

それは、ヴァーチャルな「聞き比べ」を手軽にさせたと思う。

そして、クラシック音楽の楽しみ方は「聞き比べ」というある種の誤解も生ませた。

だから、「CD=実存ではない」ということと、絶対機軸ではないことをもっと本気で伝えねばならぬ。批評も聴き手も。

もちろん、生だから「良くて」CDだから「悪い」という考えではなしに。そして…

聴き手の「耳」も演奏家と同様一様に等しくないことも、聴き手同士が知る必要がある。それから…

音楽を「聴く」「感じる」ではなくて、「判断」といったカテゴリに属する感覚。

それは音楽を「作業」として見なせば一部必要な感覚だが、芸術からは最も程遠いことと僕は感じる。

感謝もない、祈りもない、幸せにならぬ、問いかけもない音楽や演奏に落胆や憤慨したかつての僕も、

今では、少なくともその音楽や演奏に「意味を感じる」ようにしている。

今日は小難しい話しで失礼。


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