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音楽の感動を届けるために。 [日々の記録]

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クラシック音楽をみなさんに。Classical Music Cafe へようこそ!

仕事柄、CDデビューを控えた新人アーティストの試聴盤が手元に届きます。そしてコンベンションやライヴ、コンサートにも伺います。これは、関係者向けのとある小さな会場に行ったときのこと。目の前にいるのは、CDデビューを控えたあるピアニスト。事前に届いたCDやDVDを試聴しても、なぜか伝わりにくく…でも、実演に接したときの真剣さや芸術に僕はノックアウトを喰らい「よし、この人を応援しよう!」と感じてご本人に挨拶に。このケースに限らず、実演の「懸命な凄み」や「感動的な経験」を何度か体験するうちに、ある日こう感じたんです。

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この「感動」を享受できる人って「会場に行く意思があり、自らの足で会場に行ける人だけじゃん!」と。
つまり「(意思として)行きたくて」「(物理的に)行ける」人々にしか伝わっていない「感動」なのです。閉鎖的というか…「君たちが来なさい」ということでもあるのです。でも「行きたいのに」「行けない」という人もいらっしゃる。

そんな人たちにも伝えてこそ「感動」ではないか?と。最近では「アウトリーチ」といって、病院への出前コンサートなどがありますね。僕は、自分に与えてくれた同じ「感動」をお伝えできたら…とここ1年考えていました。
 

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感動」をお伝えするための方法論を体験的に勉強するために、あるNPOのボランティア(サポーター)として登録をしてきました。あまり関係のないカミさんも連れて行って(感謝)。その説明会と交流会が土曜日にあったのです。
当初は、どのNPOでお手伝いしようか・・・とサーベイしていた段階では、登録してきたNPOには、いくつか課題を指摘されているのも事実。しかし、「規模」「内容」「継続」「地域からの支持の度合い」といった観点と、何度かコンサートに通ってスタッフの人々とお会いする機会があって、「中(裏方)に入って経験しよう」と
TANというNPOに決めました。

交流会で、名刺交換をさせて頂いた理事のMさんのお話しは、僅かの間でしたが非常に勉強になりました。

NPOのオフィスと、演奏拠点となるホールがある中央区に引越しをされて地域に溶け込んだこと。そして地元の方々に受け入れてもらうためにマンションの管理組合委員をやったり、PTAの仕事も引き受け…というお話しを伺っているとき、「どぶ板営業」という言葉を思い起こしましたが、声高に芸術の素晴らしさを唱えても、受け入れる側の支持がとても大切…という言葉には、経験に基づいた信念を僕は感じました。

僕のクラシック音楽の大先輩に、K先生という病院の院長先生がいらっしゃるんです。K先生は、奥様と一緒に僕たち夫婦を随分かわいがって下さいました。その奥様がご健在中「マイスキーが大阪のある病院で慈善演奏をする」というニュースをご覧になって、しみじみと「ああ、良いわね。私達の病院にもあんな人が来てもらえたらな。こんなに嬉しいことはないのに…」とおっしゃっていた、その言葉が今でも耳に残っています。

お仕着せではない。しかし、求められるところには、ちゃんと「感動」を届けたい。今年から少しづつ勉強します。

そして「感動」といえば。話題のスーザン・ボイル

ある人は、「世も末だからか…このような人が出てくるんだろうね」とも。
ポール・ポッツのデビューのときと同じような現象に、僕の勤める会社は静かに興奮気味。また更に忙しくなりそうです。
それから今回も
You Tubeが果たしている役割りはとても大きいですね。プロモーション機能付き巨大ネットーワークになっています。でも、根底にあるものは、「感動を届ける」ということだと、僕は感じています。


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コメント 4

お茶屋

一枚目のお写真、かっこいいですね★
これからも楽しみに拝見させて頂きたいと思います♪
by お茶屋 (2009-05-01 11:49) 

ヒデキヨ

お茶屋さん ありがとうございます^^

Classical Music Cafeにご来店くださって感謝です
nice! もたくさん頂戴して・・・
Cafeなのにお茶も何も出さずに失礼しているかもしれませんネ 笑い

こちらはゆっくりゆっくり更新してゆきます
気長におつき合いくださいませ~
by ヒデキヨ (2009-05-01 23:22) 

kaori

「感動」を届ける。すごく勉強になりました。
私も音楽業界で働き、3年前、ふとこの仕事を疑問視したことがありました。
「会社的には商業的に考えなくてはならないけど、真に社会に貢献出来ているのかな?」と。
でも、ある芸術的イベントに出かけた時、車椅子に乗った息子とその車椅子を押す母親の姿が目に飛び込んできました。
なんとも嬉しそうにそのイベントについて話し合い、とても生き生きしている姿を目の当たりにし、「感動」を届けることの意義を実感したのでした。
だから、商業的なことを卑下するのではなく、宣伝やより身近なところへ届ける行為は大切なんだな、と思えるようになりました。
いくつになっても勉強。
ヒデキヨさん、いつも沢山のことを教えてくださってありがとうございます。
by kaori (2009-07-04 07:08) 

ヒデキヨ

kaoriさんのコメントに感動しました

>なんとも嬉しそうにそのイベントについて話し合い…

このような風景が もう少し日常になればと感じます

それは 個人宅のサロンコンサートでも良いし
アウトリーチでも良いし
ホールに来て頂いても良いし 自然に楽しめれば

商業・興行がベースで良いのですが
感動の届け方が閉鎖的なのです

何か素敵な方法がないか…いつかお会いしてお話しましょう!
by ヒデキヨ (2009-07-04 11:50) 

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